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ドレクスルの教皇

エレイソン・コメンツ 第682回 (2020年8月8日):
ドレクスルの教皇

リベラルな教皇(パウロ六世)はタカの爪を持っていた
彼は本気でルフェーブル(大司教)を泣きわめかせようとした

ドレクスル神父の著書(“booklet”「冊子(さっし)」)「信仰は服従より偉大」に基づいて4回続きのエレイソン・コメンツを書いてきました.今週の最終回で,私ははじめ教皇パウロ六世が1962年から1965年までカトリック教会の長だった時期に第二バチカン公会議を主宰(しゅさい)し教会に革命的な変化をもたらしたのは善意による行動だったとする著書の見方に賛同するつもりでした.むろん人の意図は神の秘密で,それを正しく(“infallibly”「=確実に」)知られるのは神のみでしょう.だが,私たちの主は私たちに樹木を評価するにはその果実を見よと告げられます.教皇パウロ六世に欠けていると見られるのはまさしくこの点です.公会議の終了後55年経っており,それが産みだした果実はいかなる真の意味でもカトリック教にとって破滅(はめつ)的なものであることが明確です.

したがって,ドレクスル神父の著書にある神の御言葉に多くの優れたものが含まれているとはいえ,著者が描いた教皇パウロ六世の姿はそのまま受け入れがたい気がします.要約すると,著書では教皇の姿は次のように描かれています―

教皇パウロ六世は(カトリック)教会を愛した(訳注後記1「カトリック(教会)」の意味)―1971年12月3日― 教皇は聖別を受けた信徒たち(”souls”, 直訳= 「 霊魂たち」=カトリック教の信仰を持ちそれを公表した人たちを指す)が教会から世間へ離れて行くのを見て心を痛め悲しむ . 1972年8月4日― 教皇は忠実に自分を支えてくれるはずの多くの者たちから見捨てられる.彼は涙と汗を流して懸命に教会を救おうと努める.自分を裏切った聖職者たちを見て悲しみ,とりわけ信仰や信徒のことより自らの安楽を求める司教たちを見て嘆く . 1975年8月1日― 教皇は偽りの助言者たちから圧迫を受ける . 1972年4月7日― 教皇はますます孤独になり,彼に忠実な周りの者たちは迫害を受ける . 1974年7月5日― 教皇は常に祈り,身を犠牲にし苦しむ.だが,周りの多くの者たちは神への誓約を破る . 1975年11月7日― 新しいミサ聖祭が執り行われるようになり,かってないほどの冒涜(ぼうとく)が蔓延(はびこ)る.だが,私の目に見える代表(教皇)はこれになんら責任がない.彼の意思は畏敬と愛をもって聖なる犠牲に心のうちで参加することだ ( . . . ) 罪を犯し,ペトロの言動に反する行為をしているのは聖職者たちである .

これらの神の御言葉の中で,とくに最後の1975年11月の部分に注目してください.教皇の諸々の意向がいかに善良だったとしても,新しいミサ聖祭により起きた多くの冒涜に彼がまったく責任がなかったはずはありません.「地獄への道は善意で固められている」という言い方があります.これは,人間は過(あやま)ちを犯すもので,実際に過ちを犯すことがあるし,自分が意図することを必ずしも成し遂げるわけではないからだということでしょう.しかし,善意が悪い結果をもたらすことがあるとしても,良い結果をもたらそうとする真意があれば、悪い結果を生じさせるものが何であれ,それを変えることができるでしょう.だが,1970年代の教皇パウロは1960年代に自らが進めたリベラル革命をほとんどというかまったく変えませんでした.それどころか,彼はあらゆる権限を用いてルフェーブル大司教の反革命運動を教会内から追放しました.したがって,教皇の真意は「聖なる犠牲に心のうちで参加すること」ではなく,カトリック教会を現代社会と足並みをそろえさせること,すなわち再編することで,このためにはルフェーブル大司教が受け入れがたい障害でした.

ルフェーブル大司教がかつて言われたように,教皇パウロはリベラルなカトリック教徒で,言い方を変えれば,相容れない二つの愛のため心が深く分裂した人物でした.その二つとはカトリック教信仰による教会への真の愛と自らのリベラリズムによる現代社会への偽(いつわり)の愛でした.どのような人にとっても,この二つの愛は死ぬまで心の中で葛藤(かっとう)し続けるに違いありません.カトリック教は教皇パウロ六世の心の内で決して死ぬことはなかったでしょう.したがって,彼は人生の終わりに近づくにつれ聖職者としての天職を失う悲しさに涙を流しました.だが,彼の心のうちのリベラリズムますます深まりました.彼のリベラリズムは理性的,観念的で執拗(しつよう)なものでした.それを妨(さまた)げようとした者,妨げようとする者には苦痛をもたらしました.リベラルなハト(教皇)は突然その爪(つめ)をむき出します.それはタカの爪です.教皇パウロ六世はそのような人物でした.彼は心情がリベラリズムだったのに比べ,信仰は感傷的でした.公会議を主宰(しゅさい)し,新しいミサ聖祭を導入(どうにゅう)したのはそのためでした.

ドレクスル神父はこのことをどのように受け止めたでしょうか.神は人間を使者として用いられるとき,言葉の伝え方は使者の自由意志,その人となりに任せられます.女性や子供はきわめて従順な使者になり,託(たく)された御言葉をそのまま忠実に伝えますが,男性はどうでしょうか.男性の多くは人生について自分なりの考えを持とうと努めます.そして,その考えがゆえに,神の御言葉を地上に伝えるとき故意(こい)に,あるいは無意識に中身をゆがめることがあります.私たちの主がドレクスル神父に1920年代から彼が死去した1977年まで話しかけられたのはおそらく事実でしょう.教皇パウロが引き起こした難題に対しドレクスル神父自身が出した解答は,公会議後に多くの敬虔(けいけん)なカトリック教信徒が取り入れた解答とおそらく同じものなのでしょう.それは,教皇の意図は善良だったが,司教たちに問題があったというものです.だが,悲しいことに,現状を見ると,司教たちは確かに問題だったが,教皇も同じだったと言わざるをえません.

キリエ・エレイソン(主よ憐れみ給え)

リチャード・ウィリアムソン司教

この回は,新しいミサ聖祭と第二バチカン公会議を扱っています.