日本語

権限不能 II

エレイソン・コメンツ 第311回 (2013年6月29日)

いまカトリック教会内で起きている「抵抗運動」(ていこううんどう)( “the Resistance” )への勇敢(ゆうかん)な参加者のひとりから,私は再度,運動の先頭(せんとう)に立って欲しいとの要請(ようせい)を受けています( “Again I am being urged by a valiant participant in today’s Catholic “Resistance” to put myself at the head of it.” ).要請の理由は,前と同じように,私が聖ピオ十世会( “the Society of St.

1 抵抗運動に加わっている司祭たちの意見があまりにも多様(たよう)で互(たが)いに隔(へだ)たっているため,それが一般信徒たちを混乱させている. ( ” 1 The wide diversity of opinion amongst Resistance priests confuses the laity.” )
* そうはいっても,諸々の意見をコントロールするには権限が必要です(冒頭〈ぼうとう〉に述べた点を参照ください).それに,おそらくカトリック信徒たちは,その多くが第二バチカン公会議に盲従(もうじゅう)してきた上,いまは SSPX に盲従しているのですから,混乱させられるとしても当然なことでしょう.神はおそらく盲従にうんざりされていらっしゃるでしょう( “Maybe God has had enough of blind obedience” ).神はおそらくカトリック信徒たちが自(みずか)らの頭を使って自ら考え,天国への怠惰(たいだ)な近道(ちかみち)でもあるかのように,なにも疑(うたが)わずに「従う」( “obey” )ことを止(や)めるようお望みでしょう. ( “* But to control opinions requires authority (see above).

2 こっそり船から逃げ出すべきか,つまり SSPX のミサ参列を止めるべきか、についての混乱がとりわけ目立つ.
* だが,なぜ一つの意見があらゆるケースに当てはまるべきなのでしょうか? あらゆる種類の異(こと)なる状況(じょうきょう)がこれと同じ疑問(ぎもん)に関(かか)わりを持ちえます.確かに,いまの SSPX の間違った進路に従っていけば徐々(じょじょ)に堕落(だらく)して行く危険は避(さ)けられません.だが,人々は秘跡(ひせき)を必要としていますし,それに SSPX の司祭たち全員が裏切り者(うらぎりもの,”traitors” )だというわけではありません.フランスで最近,9割がルフェーブル大司教の発言で構成(こうせい)された300ページの書物の初版(しょはん)が2週間で完売となりました.この本は SSPX の司祭のひとりであるフランソワ・ピベール神父( “Fr.

3 抵抗運動に参加している司祭たちの間の不和(ふわ)が抵抗運動自体を自滅(じめつ)させかねない. ( ” 3 The friction between Resistance priests could make the Resistance self-destroy.” )
* 神父のあいだにはいつも 個人的な ( ” personal ” )不和(=摩擦〈まさつ〉,軋轢〈あつれき〉)( “friction” )がありましたし,これからも常にあるでしょう.それよりもっと深刻(しんこく)なのは 教理(きょうり)にかかわる 不和( ” Doctrinal friction” )です.これまで SSPX がまとまってきたのは主として教理への忠誠(ちゅうせい)( “doctrinal fidelity” )があったからでした.そして,教理への背信(はいしん)( “doctrinal infidelity” )がいま同会を壊(こわ)そうとしています.教会,SSPX ,そして「抵抗運動」内でカトリック教義( “Catholicism” )が生き延びるとすれば,その礎(いしずえ)となる私たちの単一,唯一の信仰を保証するのは教理への忠誠です. ( ” * There has always been, and there always will be, personal friction amongst priests.

4 長もしくは指導層( “a head or hierarchy” )のいない教会など存在しない.神は私たちが組織されているのを望まれる. ( ” 4 There is no Church without a head or hierarchy.
* 正常 なら( ” Normally ” ),確かに長もしくは指導層のいない教会などないでしょう.だが,現代人は 異常な 状況( “an abnormal situation” )を創り出しました.聖福音書( マテオ聖福音書:第8章6-19節)にある異教徒(いきょうと)百人隊長(ひゃくにんたいちょう)( “the pagan centurion” )は,どのように命令(めいれい)し,どのように服従(ふくじゅう)するか(この二つは両立〈りょうりつ〉するものです)について天性の感覚を持ち備(そな)えていました(訳注後記1).しかし,民主的な人間( “democratic man” )は,自由の名を借りて,命令,服従のいずれも故意(こい)に捨て去りました( “has, in the name of liberty, wilfully unlearned how to do either” ).かくして,恣意(しい)的な命令と行きすぎた服従がはびこり,それが教会主流派を大幅に壊(こわ)したと同じように,いまや SSPX を壊しつつあります.なぜそうなるかと言えば,支配者も被支配者も共に客観的な真実に対する認識(にんしき)と愛着(あいちゃく)を欠(か)いているからです.この客観的な真実とは支配者,被支配者を超越(ちょうえつ)するものであり,それに気をつけていれば,彼らの権限(けんげん)と服従の調和(ちょうわ)が容易(ようい)になるものです.神がお望みなのは,私たちが組織されていることよりむしろ教理を探求することでしょう. ( ” * Normally indeed there is no Church without head or hierarchy, but modern man has created an abnormal situation.

結論を言います.いま教会が受けている例外的な試練は( “exceptional trial” ),神が自らの教会の浄化(じょうか)のために必要とお考えになるあいだずっと続くでしょう( “In conclusion, this exceptional trial of the Church will last for as long as God needs it to last for the purification of his Church.” ).21世紀初頭のいま,20世紀末の SSPX のようなカトリック教の煉瓦(れんが,”a Catholic brick” )を作るには,それに必要なカトリック教の藁(わら,”Catholic straw” )がまだ足りないように私には思えます( “Meanwhile in the early 21st century there seems to me to be just not enough Catholic straw left to make a Catholic brick like the SSPX of the late 20th century.” ).辛抱(しんぼう,=忍耐〈にんたい〉)しましょう( “Patience” ).神は自(みずか)らが良いと思うようになさるでしょう( “God will have his way” ).教会は神の教会であって,神が全責任をもってそれを管理しておられます(=教会に何が起ころうと,神が教会のすべての面倒を引き受けられます〈=面倒を見て下さいます〉)( “It is his Church, and he is looking after it” ).(私達は)忍耐しなければなりません( ” Patience.” ).(訳注後記2…①新約聖書・使徒聖パウロのヘブライ人への書簡:第10章36節,②旧約聖書・イザヤの書:特に第26章20節,③同・ハバククの書:特に第2章3-4節を参照)

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教

第6パラグラフの訳注:

新約聖書・使徒聖パウロのヘブライ人への手紙:第10章 36節 (1-39節を掲載)

旧約は新約の影(かげ)である / The insufficiency of the sacrifice of the old law / Insufficientia sacrificiorum veteris legis

1 実に律法は実在の姿ではなく,*将来の恵みの影であるから,毎年絶えずささげるいけにえによって,それにあずかる人々を*完全にすることのできるものではない.

2 もしできるものであれば,崇敬(すうけい)を行う者は一度清められると,二度と罪の意識をもたないので,そのいけにえをささげることをやめたのではなかろうか.

3 ところが毎年そのいけにえによって,*罪の思い出が繰(く)り返されている.

4 雄牛(おうし)と雄(お)やぎの血では罪を取り除けないからである.

5 そのために,キリストは世に入るとき言われた,「*あなたはいけにえも供え物(そなえもの)も望まれず,ただ私のために体(からだ)を準備(じゅんび)された.

6 あなたは幡祭(はんさい)と罪償(ざいしょう)のいけにえを喜ばれなかった.

7 そこで私は,〈私について巻物(まきもの)に書き記(しる)されているとおり,神よ,私はあなたのみ旨(むね)を行(おこな)うために来(く)る〉と言った」.

8 先(さき)には,「あなたはいけにえと供え物と燔祭と罪償のいけにえを望まず,また喜ばれなかった」――それも律法(りっぽう)に従ってささげられるものである――と言い,

9 後(のち)には,「見よ,私はあなたのみ旨を行うために来る」と言われた.こうして後のものを立て,先のものを除(のぞ)かれた.

10 *このみ旨によって,ただ一度で永久(えいきゅう)にささげられたイエズス・キリストのお体(からだ)のささげ物によって私たちは聖とされた.

11 すべての司祭は日々祭儀(さいぎ)を行い,いつまでも罪を取り去ることのできぬ同じいけにえをささげているが,

12 しかしキリストは,罪のためにただ一つのいけにえをささげて,永遠(えいえん)に神の右(みぎ)に座(すわ)り,

13 *ご自分の足台(あしだい)として敵(てき)が足の下(した)に置かれるのを待たれる.

14 実にキリストは,ただ一つのささげ物をもって,聖とされた人々を永久に完全にされた.

15 聖霊もそれを証明してこう言われる,

16 「*その日の後(のち),私が彼らと結(むす)ぶ契約はこれであると,主は仰せられる.私は彼らの心におきてを記(しる)し,その知恵(ちえ)に書き記そう」.そしてまた,

17 「彼の罪と不義をもはや思い出さぬ」と言われる.

18 *このゆるしのあるところには罪のためのささげ物はもうない.

信仰(しんこう)を保(たも)て / Exhortation to faithfulness and unity / Exhortatio ad fiduciam et unitatem

19 *だから兄弟たちよ,私たちはイエズスの御血(おんち)によって,安(やす)んじて聖所に入ることができる.

20 イエズスはその肉体である幕(まく)を通(とお)して,私たちのために新しく生きる道を開かれたからである.

21 そして私たちは,神の家のかしらとして立てられた*大司祭をいただいているのであるから,

22 自分の意識する悪をすべて清め,*清い水で身を洗い,真実な心と完全な信仰をもって神に近づこう.

23 約束されたお方は忠実であるから,私たちは宣言した希望にしっかりと踏みとどまり,

24 愛(あい)と善(ぜん)を互(たが)いに励(はげ)まし合うように注意(ちゅうい)しよう.

25 ある人々の習慣をまねて,集会(しゅうかい)をおろそかにすることなく互いに勧(すす)め合おう.*かの日が近づくのを見てなおさらそうせよ.

棄教(ききょう)の罰(ばつ) / How dreadful are the punishments for apostasy / Quanæ pænæ Apostatis metuenæ

26 私たちがもし真理を深く知ってのち,*故意に罪を犯すなら,罪のためのいけにえはもう残らない .

27 ただ審判の恐るべき待機(たいき)と,反逆者を焼き尽くす復讐の火だけが残る .

28 モーゼの律法に違反する者は,*二,三人の証人によってあわれみなく死罪に処せられる.

29 それならなおさら考えよ.神の子を踏(ふ)みつけ,*自分が聖とされた契約(けいやく)の血(ち)を汚(けが)し,恩寵(おんちょう)の霊(れい)を侮(あなど)った者の罰(ばつ)はどれほどひどかろうかと.

30 「*仇(あだ)は私がとる.報(むく)いるのは私である」,また「主はその民をさばく」と仰(おお)せられたお方を私たちは知っている.

31 生きる神の御手(おんて)に落ちるのは恐ろしいことである.

忠実(ちゅうじつ)の報(むく)い / Keep the faith / Pristina fiducia retinenda

32 *光を受けた後のあなたたちは,あれほどに戦い苦しんだ前の日日(ひび)を思い出すがよい.

33 そのころあなたたちは,公(おおやけ)に侮(あなど)りと患難(かんなん)にさらきれ,そういう目に会っている人々の友であった.

34 囚人(しゅうじん)たちにも同情し,朽(く)ちることのないよりよい富(とみ)を持っていることを知っていたから,*自分の持ち物が奪(うば)われるのも喜(よろこ)んで耐(た)えた.

35 それなら大なる報(むく)いを受けるはずのその確信を*捨てるな.

36 あなたたちが神のみ旨(むね)を果(は)たして約束されたものを受けるためには,忍耐が必要である .

37 「*もうしばらくすれば,来(き)たるべきお方が来られる.彼は遅くはならぬ.

38 私の義人(ぎじん)は信仰によって生きる.もしそれをやめれば,私の心はその者を喜ばない.」

39 しかし私たちは滅(ほろ)びるために退(しりぞ)く者ではなく,むしろ霊魂(れいこん)を救(すく)うために信仰(しんこう)を保(たも)つ者である.

(注釈)

旧約は新約の影である (10・1-18)

1 8・5,コロサイ2・17参照.

* 良心(りょうしん)の清(きよ)め,罪(つみ)のゆるし.

3 罪がまだ存在(そんざい)しているという意識(いしき)(9・9).何度も飲まねばならぬ薬(くすり)は完全(かんぜん)な効果(こうか)がない証拠(しょうこ)である(金ロ〈きんこう=黄金の口〈くち〉〉ヨハネ).

5 詩篇40・7-9.ギリシア語七十人訳による.

10 キリストのいけにえだけを嘉(よみ)された父なる神のみ旨(むね).

13 詩篇110・1参照.

16 エレミア31・33-34参照.

18 ここはミサの効果を否定する根拠にはならぬ.ミサは,新しいいけにえではなく,キリストの唯一(ゆいいつ)のいけにえの形見(かたみ)であり,応用(おうよう)である.

信仰を保て (10・19-25)

19-20 信者はキリストによって,いつも神に近寄りうる(4・16,7・19,ローマ人への手紙5・2,エフェゾ人への手紙1・4,2・18,コロサイ人への手紙1・22).

21 キリストのこと.

22 洗礼.

25 パレスチナのある信者は,キリストを認めないほかのユダヤ人を恐れて集会に行くのを控(ひか)えていたようである.

*10・37 参照.

棄教の罰 (10・26-31)

26 6・4-6の棄教(ききょう)のこと.

28 〈旧約〉第二法の書17・6参照.

29 棄教者の罪.自ら救いの手段を断(た)つ.

30 第二法32・35-36参照.

忠実の報い (10・32-39)

32 〈新約〉エフェゾ人への手紙5・14参照.
ヘロデ・アグリッパ一世の迫害をほのめかす(使徒行録12・1-2).

35 六五年ごろ,反ローマ革命がくすぶり,ユダヤの国家主義はある人々に信仰を捨てさせる危険をもたらした.

37 〈旧約〉イザヤの書26・20,ハバククの書2・3-4参照.

訳注(聖書の引用)をさらに追補いたします.

・〈新約〉
マテオ聖福音書:第8章6-19節

・〈旧約〉 イザヤの書26・20,ハバククの書2・3-4参照.