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ドレクスルの危機

エレイソン・コメンツ 第680回(2020年7月25日)

新世界秩序ですって? 最悪をもたらすがいい

カトリック教徒がなすべきはただ一つ - 神を最優先することです

私たちの主(と信じてよい方)がオーストリア人の司祭で大学教授だったアルベルト・ドレクスル神父に彼の小著書 「 信仰は服従より偉大」 にある御言葉( “the Messages” )を与えられた1970年代には,カトリック教伝統派は第二バチカン公会議が理由でまだ依然として深く信用を失ったままの状態でした.カトリック教徒たちはひたすら自分たちの司祭からひどく裏切られたのが信じられないとの思いでした.伝統派が私たちの主の教会内で当然持つべき卓越性を取り戻したのは長年経ってからのことでした.神の御言葉を取り上げる今回の「エレイソン・コメンツ」の短い連載の始めに,まずいくつかの御言葉をご紹介します.それは,前代未聞で今も続いている教会のドラマに深くかかわる内容です.

(以下,神の御言葉)

1970年9月4日.

信心深い信徒の数は少なくなるだろう.だが,彼らの恐れを知らぬ信仰告白は世の光のように輝くだろう .そして,三位一体の力と恩寵による祝福を受けるだろう. 聖体拝領(ユーカリストの犠牲=「世の罪を贖い給う犠牲の生贄(いけにえ)としての神の子羊となられた神の御独り子」”The Eucharistic sacrifice”) は神の神殿が汚(けが)されてきた(=”desecrated” 冒涜された)場所,すなわち 個々の家庭で褒め讃え(ほめたたえ)られるだろう.

1970年11月6日.

反逆者たち(”the rebels”)の中に,聖別された教会の僕(しもべ)たちを多く見ることになるだろう.この者たちはこの私(訳注・ここで「私〈 “Me” 〉」とは唯一の神の御独り子すなわち唯一の救世主(=キリスト・メシア)なるイエズスを指す)に対して神の愛ではなく最大の苦悩をもって挨拶をした裏切り者の弟子ユダがしたとおり偽りの接吻をもって私を裏切ったユダの罪を自らおかしている.そして,職務に任じられながら弱く成り下がったこれら牧者たち(司教たち)故に, 真に信心深い信徒たちは, そうした聖職者たちが無視し,失ってしまった 祈り,葛藤(かっとう),苦痛を補(おぎな)わなければならなくなるだろう.だから私は祈りを捧げる人々,犠牲となった人々を深い思いやりをもって見守る. こうした人々の心の悩みは大きい.だが,死後に彼らを待ち受けている愛は大きく美しいものだろう.

1971年6月4日 . 多くの人々は私の従者や唯一の真実(=真)の教会から離れて行くだろう.なぜなら彼らは三位一体の神への信仰を失い,邪悪な聖職者や宣教者によって誤り導かれ盲目にされてきたからだ.こうした高慢で不誠実な者たちは超自然,神秘,祈りのない宗教について語る. 彼らは 人間 について (“about man” !) だけ語り , もはや 神 について (“about God! “)は語らない! 彼らは神の慈悲をくつがえし隣人愛を最優先する.だが,彼らはひどい厚かましさをもって神への愛を忘れ,失い,否定する. 彼らは新教会なるものを設立しようとしている が,そこでは世の中と人間がすべてで, 神 と 天国 は無意味なところだ.

1972年7月7日 .

神の恩寵を忠実に信じる人たちはこのことを悲しむべきだろうか?私自身エルサレムについて嘆いたのは事実だ.その住民が私の恩寵を拒んだからだ.だが, 信仰を持つ子供たちは, 太陽の讃歌(”canticle of the sun”)をもって天国を讃えた聖フランチェスコのように 喜ぶべきだし ,私への愛に満たされ創造の園を楽しそうに笑いながら歩いた聖テレジアのように幸せだと感じるべきだ.これが私の意思であり,父なる神の御意志だ.

1973年5月4日.

教区の登録簿に名前が載っている多くの教会の人々は神聖とはなにか,聖人とはどのような人かについての感覚を失っている.祭壇(さいだん),霊魂に仕えるよう任じられた聖職者たちは世間に目を転じ,神の戒律を忘れ軽蔑し,世間の危険な霊魂を讃える.ますます多くの人々は聖ヨハネが末世における「バビロンの売春婦」(”Harlot of Babylon”)と呼んだ道徳的堕落の魔力に堕ちて行く. ローマでの私の歴然たる(=”visible” 明白な) 後継者(教皇)が教会信仰の崩壊,解消について述べたこと言えばただ苦情,非難だけである.

1973年12月7日.

信仰の深い人々の祈りは,信仰のない人々の話や集会に打ち勝つだろう.だが,神に忠実な人々はそれでも苦しむだろう.だが, 彼らはその苦痛という犠牲が教会へ恩恵をもたらすことを知り,そう考えるべきだ.そのように苦しむ人たちは永遠の公栄と私の愛を私と分かち合うだろう.

キリエ・エレイソン(主よ憐れみ給え)

リチャード・ウィリアムソン司教

(訳注1)
ドレクスル神父(1889-1977)Fr.

(続きます)