エレイソン・コメンツ 第571回 (2018年6月23日)
「ひとつの事をするなら,」とキリストは言われます,「ほかの事もしなさい」
あなたの兄弟を助けようとするとき,神を忘れてはいけません.
公教会(=カトリック教会)の1950年代の状況と聖ピオ十世会 “SSPX” の2000年代の状況との間の類似点はますます顕著になってきています.これは両者が同じ病に冒されたからです.その病とはどういうものでしょうか? 人間を神からますます遠ざけたいとの欲望から,真の神を判別不能なまでにゆがめ,神を信じない現代人のレベルにまで低下させるのがその病です.教会についていえば,普遍の信仰を現代世界に適応するように変えてしまい,結果的に第二バチカン公会議の誕生をもたらしました.
昨年(2017年)は聖母のポルトガル・ファティマ出現100周年でした.聖母はこのとき,もし自分の警告が無視されれば,恐ろしい災難が人類に及ぶだろうと告げられました.これに対する聖職者たちの反応は不十分なものでした,なぜなら,聖母は数年後に修道女ルシアに対し善良な人々でさえ自分の要請に十分な注意を払っていないと告げざるを得ませんでしたし,この間,邪悪な人々は当然のことながら罪深い道を進み続けたからです.かくして,教皇ピオ12世(1939-1958)は任期の前半ではファティマへの献身を貫きましたが,1950年代になると,周囲の説得を受け入れ,聖母出現への献身的局面を政治的局面,とりわけロシアの奉献 “the Consecration of Russia” から切り離しました.教皇は献身的局面を堅持する一方で政治的局面を無視しましたが,これは大きな間違いでした.2010年代のいま, SSPX の一部上層部がまさしく同じ間違いをおかしています.
SSPX のある司祭が昨年(2017年),同会の二人の長老による聖母のファティマ出現(1917年)についての説教を聴いたそうです.司祭はファティマ出現の全容についての話を期待していましたが,彼が実際に聴いたのは決して誤りではないものの,単なる敬虔な言葉の羅列でした.二人の長老はいずれも世界は健全な状態にあるという話に終始しました! 聖母の偉大さ,善良さ,慈悲について言及され,むろん聖母が私たち公教徒にとっての大きな救いであるとの話もあったそうです.このことについて何ら誤りはありません.だが,私たちの同志でもあるこの司祭は以下のように話しています――
「個々人,国々,公教会が今日直面している悲惨な状況について一言も話がありませんでした.ファティマの第1の秘密は取り上げられましたが,第2,第3の秘密には触れられませんでした.各国が何のトラブルにも巻き込まれていないとういうのでしょうか? 教皇フランシスコが率いる教会は想像を絶するほどのトラブルに置かれているのではないでしょうか? このような状況を考えれば,第2,第3の秘密に目をつむり,一言も触れないで済ます人などどこにいるでしょうか?」
「私たちの会の上層部の責任は重大です.彼らは私たち公教会信徒たちを眠り,つまり宗教的眠りに誘い込んでいるのです.『私たちには真のミサ聖祭,信仰,修道院があり,私たちは実際に公教会のメンバー(=信徒)です.ほかに何が必要でしょうか?』と,長老たちは問います.だが,このような説教は何の反応も起こしません.聖母の戦いに加わろうということでもありませんし,現代の電子機器に対する警告の言葉もありません.かくして,公教会信徒は不熱心になっていきます.」
「ファティマの子供たちが地獄の炎を見ざるを得なかったとき,彼らの祈り,努力,犠牲は著しく高まりました.21世紀に生きる私たち公教会信徒はもはや地獄の炎や現代政治,公教会が直面する悲惨な状況などに目を向ける必要などないのでしょうか? 私たち信徒の多くは自分たちから何か大事なことが隠されていることにすら気づいていません.彼らは上に述べたような説教を聴けば,熱狂的になり,説教者を賞賛し,この上なくハッピーになります.悲しいかな,人間は厳しくかつ真実なものより明るく楽しいものを好むことが,これではっきり分かります.」
キリエ・エレイソン(主よ憐れみ給え)
リチャード・ウィリアムソン司教