エレイソン・コメンツ 第237回 (2012年1月28日)
司教閣下,なにかもっと元気の出るようなお話をお聞かせください!
神は存在します.神は全知,全能であり,つねに正しくその慈悲(じひ)は無限です( “God exists.
そうだとすれば,神はどうして私たちの世界にこれほど多く悪がはびこるのをお許しになられるのでしょうか?
それは,神が決して悪そのものを お望みになる ことはなくても,悪を 許そう(訳注・=悪の所為(しょい)をそのままさせておこう)と望まれる からです.神は悪の中からより大きな善を導(みちび)き出そうとされます “…while he never wants evil, he wants to allow it, so as to bring out of it a greater good.” (訳注後記).(訳注・神からの預言者たちによって告げられた)多くの預言が今日の世界的な堕落(だらく)のなかから明日はカトリック教会の大勝利が訪(おとず)れると示唆(しさ)しています.たとえばファティマの聖母(マリア) “Our Lady of Fatima” が言われた「最後は私の汚(けが)れなき心が勝つでしょう」とのおことばに示されているようにです.ちょうどいま世の中で起きていることは,私たちの主(訳注・=神またはイエズス・キリスト)が敵を用いて御自分の教会( “his Church” =カトリック教会.以下同じ.)を浄化しようとしているのです.(訳注後記)
私たちは今日,信じられないほどの堕落を目にしているわけですが,神は御自分の教会を浄化するのにこれほど不快でない方法を選べないのでしょうか?
その選択を神だけに委(ゆだ)ねうるとすれば,神は御自分の教会を浄化するため間違いなく別の方法を選ばれるでしょう.だが,もしあなたや私が神のお知りになっていることを全て知っているとしたら —これは愚(おろ)かな考えですが!— そしてとりわけあなたや私が,神がお望みのように,神があらゆる人間に与えた自由意思 “free-will” を尊重しようと望むとすれば,神がお選びになっている方法があらゆる事を為(な)すにあたり最良の方法だと分かるのではないかと思います.
そのことに人間の自由意思はどうかかわってくるのでしょうか?
神はロボットや道理の分からない動物と自らの至福(しふく=天上の〈無上の〉喜び)を分かち合おうとお望みではありません.そうである以上はたとえ神と言えどもそれ相応(そうおう)のことを何もしない諸被造物(訳注・ “his creatures” =神が創造された万物.特に神の似姿に創造された人間をここでは指す)に幸福を与えることはできないのです.なぜなら,そうすることは矛盾(むじゅん)するからで,神の御力(みちから)が及ぶのは存在するものだけに対してであり,矛盾のように非存在なものに対してではないからです.だが,少しでも神の至福を受けるに値(あたい)する人間に対しては神は自由意思をお与えになるに違いありません.そして,それが本当に自由意思なら,神がお望みのことと正反対のことを選ぶことがあるに違いありません.そしてもしその自由意思が実際に悪を選び得るなら,その時には悪が起きるでしょう.しばしばあることです.
しかし,司教閣下は,真の教会(訳注・ “true Church” =カトリック教会〈公教会〉を指す)は私たちの主の教えに従って,天国への道は狭(せま)く,それを見出すものはごくわずかである(マテオ聖福音書・第7章14節)と教えると,おっしゃいます.神は少数しか天国へたどり着けないのに,たとえば今日のように,多数の人間をお造りなる価値をお認めになっているのでしょうか? 多数が地獄の恐怖に落ち込むのは少数が天国へたどり着くための代償としてはあまりにも高すぎるということにならないのはどうしてなのでしょうか?
なぜなら神の御業(みわざ)は数の多さではなく質の良し悪(あ)しだからです(訳注・神は数量ではなく質において働(はたら)かれる.原文= “Because God works in quality, not in quantity.” ).わずか10人の人々が神のお怒りからソドマ( “Sodom” )の街全体を救い得たという事実は(創世の書・第18章32節),神の愛に応(こた)えるただ一人の人間の霊魂が, 自らの自由選択で ( “ by their own free choice “ )神の愛を望まない多数の人間よりも,神にとってはどれほど貴重なものかを示す証(あかし)です(訳注・補足説明:神を愛するただ一人の霊魂は,神が滅ぼそうとする大多数の悪人たちに対する神の怒りの懲罰感情をはるかに超えて,神にとって尊〈とうと〉く貴重な存在である.そのただ一人の善良な霊魂ゆえに,神はその一人以外の悪全体を滅ぼし尽すことを思いとどまられる.)(訳注後記).私たちの主イエズス・キリストはかつて「あなた一人だけのためにも私は受難の犠牲全体をいとわずに最後まで欠けるところなく完全に果たしたでしょう( “I would have gone through the whole Passion just for you,” )」と一人の霊魂に告げました.主は同じことをどの人間の霊魂に対しても言われるでしょう.
司教閣下は,世界が私に不安と苦しみをもたらすときでも,もし私がただ神から離れることなくますます神にピッタリと(=密接に)寄り添うならば,私と私の周(まわ)りの人々のために,神はそのことをすべてご覧になり分かってくださる(=配慮してくださる)とおっしゃるのでしょうか? 世界がもっと悪くなるよう願いたい気持ちです!
そうです.私の考えが分かってきたようですね!
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
第2パラグラフの最初の訳注:
旧約聖書・格言の書:第16章1-9節 .4節参照(太字部分).
『心ではかるのは人間で,
決定するのは神である.
人の目には,自分の道がみな清く見えるが,
心の値打(ねうち)をはかるのは神である.
自分の仕事を神にゆだねれば,
あなたの計画は成功するだろう.
*¹ 神はあらゆるものに目的をもたせる,
悪人さえも,災(わざわ)いの日のためにつくられた.
神はおごる心を憎み,
いずれ,罰を下されるだろう.
慈悲(じひ)と善意によって罪を償(つぐな)い,
神を恐れることによって悪を避ける.
神がある人の行いを喜ばれるとき,
その人の敵とも和解させられる.
正しい方法で得たわずかなものは,
不正な方法で得た多くのものにまさる.
自分の道を選ぶのは人の心で,
その足を指導するのは神である.
(注釈)
神のはからい (16・1-9)
*¹ 悪人も,いつか神のはからいを表すことだろう.「災いの日」とは,悪人が罰を受ける日.
第2パラグラフの2つ目の訳注:
「神の教会」・「真の教会」・ “the true Church” とは:
・「カトリック教会〈公教会〉」 “the Catholic Church” を指す.
・→ “The Four Marks of the Church” … one, holy, catholic and apostolic
(唯一の,聖なる,普遍(公)の,使徒継承の)
第5パラグラフの訳注:
旧約聖書・創世の書・第18章32節 (太字部分)(18章を掲載)
創世の書・第18章は後から追加いたします.