エレイソン・コメンツ 第365回 (2014年7月12日)
昨年(さくねん)12月13日(じゅうにがつ じゅうさんにち),教皇フランシスコが住む(きょうこう ふらんしすこが すむ)ローマの聖マルタ・ハウス(ろーまの せい まるた はうす)( “St Martha’s House” )で教皇と聖ピオ十世会(せい ぴお じゅっせい かい)総長(そうちょう)( “Superior General of the Society of St Pius X” )フェレー( “Bishop Fellay” )が短時間会いました(たんじかん あいました)( “On December 13 of last year, in St Martha’s House in Rome where the Pope is currently living, the Pope met briefly with Bishop Fellay, Superior General of the Society of St Pius X.” ).
をお読(よ)みください.以下はその要点(いかは その ようてん)です:– ( “See
12月13日の午前(ごぜん),フェレー司教と SSPX 本部(ほんぶ)の二人の補佐官(ふたりの ほさかん)がバチカンで エックレ-ジア・デイ( “Ecclesia Dei” ) (=神の教会〈かみのきょうかい〉) 委員会 ( “the Ecclesia Dei Commission” ) の代表者( えっくれーじあ・でい いいんかいの だいひょうしゃ)たちと会見(かいけん)しました.会見はローマと SSPX との間の問題含みの関係を処理(あいだの もんだいふくみの かんけいを しょり)させるべく教皇フランシスコが同(どう)委員会に復職(ふくしょく)させたモンシニョール・グイード・ポッツォ(もんしにょーる・ぐいーど・ぽっつぉ)( “Monsignor (Msgr.) Guido Pozzo” )(Catholic prelate〈カトリック司祭・神学者〈かとりっく しさい・しんがくしゃ〉〉)の招請(しょうへい)で開(ひら)かれたものでした( “On the morning of the 13th Bishop Fellay and his two Assistants at the head of the SSPX met in the Vatican with the heads of the Ecclesia Dei Commission at the invitation of Monsignor Guido Pozzo, restored to the Commission by Pope Francis to deal with the problematic relations between Rome and the SSPX.” )(訳注・”Monsignor” 「モンシニョール」はローマ教皇庁の司教補佐以上〈しきょう ほさ いじょう〉の高位聖職者に対する尊称〈たいする そんしょう〉.またその尊称を許〈ゆる〉された人物〈じんぶつ〉に対する尊称).
いずれにせよ,この会合の後(あと),モンシニョール・ポッツォ,ディ・ノイア大司教(でぃのいあ だいしきょう)( “Msgr.
G.D. はさらに,外交(がいこう)におけるそうした会見は座を和やか(ざを なごやか)にするよう緻密に計算(めんみつに けいさん)されたもので,解釈に幅(かいしゃくに はば)があり,その持つ意味の大小(もつ いみの だいしょう)は各自(かくじ)の意(い)のままだと言(い)っています( “Moreover, says G.D., in the art of diplomacy such a meeting is a finely calculated ice-breaker, of elastic interpretation, designed to mean as much or as little as one wants.” ).一方(いっぽう)で,挨拶を交わしただけの出会い(あいさつを かわした だけの であい)は新教会( “Newchurch” )の要人(ようじん)たちが頻繁に出入りする場所(ひんぱんに でいり する ばしょ)で公の目に触れる(おおやけの めに ふれる)ように行われた(おこなわれた)もので( “On the one hand the courteous contact was there for all to see in a public place frequented by important Newchurch officials, …” ),その日の午前中に開かれた SSPX と エックレ-ジア・デイ 委員会代表者の会合で話し合われた内容(はなし あわれた ないよう)を教皇が支持(きょうこうが しじ)したものだと解釈(かいしゃく)できるでしょう( “… and it could be seen as papal support of whatever had gone on at the morning’s meeting with the Commission.” ).他方(たほう),教皇庁も SSPX も共(とも)に出会い(であい)には挨拶を交わす以上の深い意味(あいさつを かわす いじょうの ふかい いみ)はなかったと尤も(もっとも)らしく主張(しゅちょう)できます( “On the other hand both Rome and the SSPX could plausibly deny that the encounter had any real significance beyond an exchange of courtesies.” ).
かくして,新年早々(しんねん そうそう)に噂が広がり始めた(うわさが ひろがり はじめた)とき, SSPX はすでに数か月前(すうかげつ まえ)からローマとSSPXの合意などまったく問題になっていないと言い張って(いいはって)きたわけです( “Thus when rumours began to circulate in the new year, for months the SSPX denied that there was any question of a Rome-SSPX agreement.” ).
事実(じじつ),教皇フランシスコとフェレー司教にとって,主要な問題(しゅような もんだい)は彼らが共に望む合意(かれらが ともに のぞむ ごうい)をいかに達成(たっせい)するかではなく,双方に存在(そうほうに そんざい)する右派,左派(うは,さは)にいかにして合意を受け入れ(うけいれ)させるかです( “In fact the main problem, for Pope Francis as for Bishop Fellay, is not how to come to an agreement which they both want, but how to get their left and right wings respectively to accept an agreement. ” ).だが,問題は日々解決(ひび かいけつ)されつつあります.かつて信仰擁護で輝いて(しんこう ようごで かがやいて)いた SSPX が恥ずべき新協会(はずべき しん きょうかい)( “Newsociety” )に変(か)わってきているからです( “However, the problem is being solved for them day by day as the Society, once glorious for its defence of the Faith, becomes the inglorious Newsociety. ” ).実際(じっさい)のところ,新協会( “the Newsociety” )が新教会(しん きょうかい)( “Newchurch” )にとっていまだに脅威(きょうい)だと受け止め(うけとめ)ている新教会派司教が何人(しんきょうかいは しきょうが なんにん)いるでしょうか?( “For indeed how many Newchurch bishops can still be fearing the Newsociety as a threat to their Newchurch ? ” )そしてローマとの合意が最悪の事態(さいあくの じたい)だといまだに信(しん)じている SSPX の司祭(しさい)たちが何人いるでしょうか? とりわけ,合意ができても「あなたたちは何も変える必要(なにも かえる ひつよう)はない」と約束(やくそく)されているとすれば?です( “And how many SSPX priests are still convinced that any agreement with Rome would be a disaster, especially if they are promised that “they will need to change nothing” ? ” ).そのような合意など公表(こうひょう)するまでもないでしょう.それはすでに心の中では達成(こころの なかでは たっせい)されているわけですから( “Such an agreement will hardly need to be announced.
キリエ・エレイソン.
ローマと SSPX の接触は静かに進む
(ろーまと えす えす ぴー えくす のせっしょくは しずかに すすむ)
反目はやがて遠い過去のものとなるだろう
(はんもくは やがて とおい かこの ものと なる だろう)
リチャード・ウィリアムソン司教
(注:本投稿記事〈第365回エレイソン・コメンツ〉は2014年8月26日23:41に公開されました.)