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さらばウィンブルドン

エレイソン・コメンツ 第283回 (2012年12月15日)

そんな訳で私はウィンブルドンを離(はな)れました.このことは少なくとも私が聖ピオ十世会 ( “Society of St Pius X” = SSPX )から想定上の 「除名」 処分 ( “supposed “expulsion” ” )(訳注・想定上の=仮定の.すなわち「正当かつ合理的な根拠・手続なしになされた」という意味で ) を受けた現実に対する私の対応です( “So I have moved out of Wimbledon, which at least corresponds to the reality of my supposed “expulsion” from the Society of St Pius X.” ). だが,本当の(「国外退去命令」)処分( “real expulsion” ) (訳注・本当の=本物の.すなわち「法手続上合理的になされた」という意味で. )を受けてアルゼンチンから追放された後,4年近く過ごしたウィンブルドンとの別れには悲しみがなかったわけではありません.あれこれありましたが,それらすべての事にかかわらず,私はこの4年間,楽しい時を過ごさせてもらいました( “But the move is not without its sadness, because I spent nearly four years there after my real expulsion from Argentina, and they have been happy years, despite everything.” ).おそらく,その楽しさの多くは SSPX のイングランド本部がある聖ジョージ・ハウス( “St George’s House” )でそこの司祭たちと親しくお付き合いができたことでした( “Perhaps the main happiness has been the company of the priests in SSPX headquarters in England, St George’s House.” ).彼らはとても素敵(すてき)な仲間たちでした.一人一人に神の御祝福があるようお祈りします( “They have been very good company.

私には一つだけ言わなければならないことがあります( “However one thing I must say.” ).私の周りの人たちは私がなぜ SSPX を離(はな)れたのかと尋(たず)ねます( “People ask why I left the Society.” ).私は SSPX を離れていません.

さて,これからどうしましょうか( “So what now ? ” )? 私はいまロンドン近郊に住む友人のフラット ” flat ” を借りています. 短くて数週間,長ければ数か月間そこに滞在し,半年か1年賃貸契約の適当な住まいを見つけるつもりです( “I borrow a friend’s flat in the vicinity of London for a few weeks at best, for a few months at worst, until I can find suitable property to rent for 6 or 12 months. ” ).現時点では,私はまだ永続的な取り決めをする気持ちになっていません( “At this point I still do not believe in making any permanent arrangements. ” ).悲しいことに,友人は隣人たちへの気遣い(きづかい)から慎重にならざるをえないため,私は気楽に人と接するわけにはいかない状態です( “Alas, I shall not be easy to contact because my friend has to be discreet out of care for his neighbours. ” ).いずれにしても,郵便は 英国, Deal CT14 4BF私書箱423 で私に届きます(ただし,クリスマスカードは送らないでください.私も送りません)( “In any case snail mail will reach me through P.O.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.

リチャード・ウィリアムソン

① 第2パラグラフの訳注:

「盲目は,視力のある人にとっては恐ろしいことです.だが,それは目が見えない人にとってはまったく自然なことなのです.」について.

新約聖書・ヨハネ聖福音書:第9章39-41節参照.

(解説)

盲目に限らず身体上の不自由は,そのこと自体は霊的・人格的に何らの害悪を及ぼすものではまったくない.

視力のある人は,盲目を恐れるが,見える事物のみに頼りすぎて人生の真実を見逃したり見損(そこ)なっていることがあまりに多い.

苦学をして教養を積み,心の目(霊的・精神的な物の見方)を養(やしな)うことが人間として非常に大切である.
それを心がけないで五体の満足(権力欲・名誉欲・衣食住の欲)を追求するだけの人は動物と大差なく,人や物の「見かけ」にすぐ騙(だま)されやすい.

人間の本当の幸福とは,「心の気高さ・高貴さ」にあるべきというのが真理である.現世での生き様(ざま)が来世にまでも及(およ)ぶ霊魂の価値を計る.

② 第4パラグラフの訳注:

「御公現の祝日( “the Feast of the Epiphany” )」 について.

キリスト御降誕後12日目に,遠い東方の国から三人の博士たちが来訪し,馬小屋の粗末(そまつ)な飼い葉おけの中に生まれた救世主キリストを,王として礼拝し,贈り物を献上した.

この事件をもって,救世主イエズス・キリストが世界の人々に公現されたものとして祝う祝日.

マテオ聖福音書・第2章1-12節参照.

聖書の引用箇所を追記いたします.