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エレイソン・コメンツ 第243回 (2012年3月10日)

聖ピオ十世会総長(訳注・“the Society of St Pius X’s Superior General” =フェレー司教)は先月アメリカで説教された際にローマ教皇庁(以下, “ローマ” )と聖ピオ十世会の関係につき( “on Rome-SSPX relations” ),ローマが聖ピオ十世会をありのまま容認するなら両者間でなんらかの実務的な合意が可能かもしれないだろうと述べ,ルフェーブル大司教がそのような取り決めができるなら受け入れ得るとしばしば仰っておられたと言われました.だが,フェレー司教 “Bishop Fellay” はルフェーブル大司教がその趣旨の発言を最後にされたのは1987年だったと付け加えられました.この短い付言の持つ意味はきわめて重要で,とりわけ1988年のルフェーブル大司教による四名の司教叙階という歴史的なドラマ( “…the historic drama of the Episcopal Consecrations of 1988” )のことをあまり知らない若い世代のために,詳しく検討するに値します.

実際のところ,第二バチカン公会議(1962-1965) “the Second Vatican Council (1962-1965)” はドラマの中のドラマ “the drama of dramas” で,これがなければ聖ピオ十世会が存在することはけっしてなかったでしょう.この公会議で世界中のカトリック司教たちの大半が教会の「近代化」( “up-dating” )に関する諸文書に署名し,それによりカトリックの権威派がカトリック伝統派の真理から分かれたのです(訳注・原文 “…split their Catholic authority from the truth of Catholic Tradition” ).それから今日まで,カトリック信徒は権威と真理のいずれかを選ばなければならなくなりました(訳注・原文 “…Catholics had to choose between Authority and Truth” )今でも,カトリック信徒は権威を選べば真理を切望せざるを得ず,真理を選べば権威との結びつきにあこがれるといった状況です( 訳注・原文 “…if they choose Authority, they must long for Truth, and if they choose Truth, they still yearn for union with Authority”.). ルフェーブル大司教は真理を選ばれ( “Archbishop Lefebvre chose Truth…” ),1970年に真理擁護(ようご)のため聖ピオ十世会を創設されました.その後も自らの力の及ぶかぎりローマによる聖ピオ十世会承認を得ることで権威との決別の傷を癒(いや)そうとされました(訳注・原文 “…he did all in his power to heal its split with Authority by striving to obtain Rome’s approval for his Society.” ).ルフェーブル大司教は1987年までローマ教皇庁とのなんらかの実務的な合意達成を繰り返し望み,そのための努力をされたと,フェレイ司教が言われたのはそのためです.

ところが,ルフェーブル大司教は1987年には82歳になっていました.彼は聖ピオ十世会が自らの司教を持たないなら伝統を重んじるその立場は終わりを迎えるに違いないと予期されました.聖ピオ十世会にとってローマから少なくとも司教一人を派遣してもらうことが緊急課題になっていました.だが,ローマは言葉を濁(にご)し続けました.というのも,ローマ自体も司教のいない聖ピオ十世会はやがて消滅すると気づいていたからです.1988年5月,当時のラツィンガー枢機卿(すうききょう “then Cardinal Ratzinger” ,現ローマ教皇の本名+前身)は頑(かたく)なに動こうとしませんでした。このため,ルフェーブル大司教は ネオ・モダニスト(新現代主義者)のローマ( “neo-modernist Rome” )にはカトリックの伝統を擁護し承認する意思がまったくない ,とはっきり理解しました.大司教は外交で解決を探る時期は終わったと判断し,司教叙階(しきょうじょかい)に踏み切られたのです.この時から,同大司教の言葉によれば, 教理を持つかそれとも何も持たないかのいずれか であり,ローマと聖ピオ十世会がなんらかの接触を持つとすれば,その絶対不可欠な前提として,彼の言葉によれば,ローマがカトリック伝統派の偉大な反リベラル諸文書,“the great anti-liberal documents of Catholic Tradition”,すなわち回勅 (かいちょく) パッシェンディ “Pascendi”,クアンタ・クーラ “Quanta Cura” などへの信仰を宣言することが必須だということになったのです.( “…Rome’s profession of Faith in the great anti-liberal documents of Catholic Tradition, e.g.

フェレー司教が2月2日の説教で暗に言われたように,ルフェーブル大司教が1991年に死を迎えるまでローマと聖ピオ十世会の間の実務的合意(訳注=実務協定.“practical agreement” )が可能もしくは望ましいと二度と口にすることがなかったのはこのためです.ルフェーブル大司教は生前,権威派から最小限度の真理を引き出そうとあらゆる努力をつくされました.( “Himself he had gone as far as he could to obtain from Authority the minimum requirements of Truth”.) 自分が1988年5月に行ったこと(四人の司教叙階)は行き過ぎだったかもしれないとまで示唆(しさ)されました.しかし,大司教は司教叙階以降,態度をぐらつかせたり妥協したりすることはなく,聖ピオ十世会に同じ立場を堅持(けんじ)するよう促(うなが)されました.

その当時に比べ現在の状況は変わったでしょうか? ローマが不変のカトリック信仰( “the profession of the Faith of all time” )へ立ち帰ったでしょうか? フェレー司教は同じ2月の説教で,ローマは9月14日に明らかにした厳しい立場をやわらげ,今ではありのままの聖ピオ十世会を容認する用意があると公言していると私たちに知らせてくださいましたが,それを聞くと答えはイエスという気もします.だが, 「アッシジ III」(第三回アッシジ諸宗教合同祈祷集会)や前教皇ヨハネ・パウロ2世の新しい(形式による)列福を思い起こすと,聖ピオ十世会に向けてローマの聖職者たちが新たに創出してきたローマの博愛(慈善)じみた好意的な態度の裏にはおそらく,両者間の接触が再構築されしばらく持続するとしても,その幸福感はやがて薄(うす)らぎ,ぼやけてしまい,聖ピオ十世会の新しい教会に対する頑(かたく)なな抵抗はやがて消えてしまうだろうという計算があるのではないかと疑いたくなります.悲しい哉(かな).

「われらの救いは主の御名のうちにあり.」

“Our help is in the name of the Lord.” (訳注後記)

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.

リチャード・ウィリアムソン司教

第3パラグラフの訳注:

回勅(かいちょく) “Encyclical” について

①回勅「 パッシェンディ 」 原語(ラテン語)+英タイトル

(” Feeding the Lord’s Flock “) - 「主の(羊の)群れを牧(ぼく)せよ」

ENCYCLICAL OF POPE (SAINT) PIUS X - 教皇(聖)ピオ10世の回勅

ON THE DOCTRINES OF THE MODERNISTS - 近代主義者の思想信条について.

promulgated on September 8, 1907 - 1907年9月8日に発表された.

・近現代主義者(現代の新現代主義者 “neo-modernist” も含む)の思想信条を糾弾(きゅうだん)する.

・ヨハネによる聖福音書・ 第21章17節 参照(太字部分).(15-19節掲載)

『…食事の後,イエズスはシモン・ペテロに,

「ヨハネの子シモン,あなたはこの人たちよりも私を愛しているか」と言われた.ペトロは,「主よ,そうです.あなたのご存じのとおり,わたしはあなたを愛しています」と答えると,イエズスは,「私の小羊を牧せよ」と言われた.

また,ふたたび彼に,「ヨハネの子シモン,私を愛しているか」と言われた.「主よ,そうです.あなたもご存じのとおり,私はあなたを愛しています」とペトロが答えると,「私の羊を牧せよ」と言われた.

*¹ 三たび「私を愛しているか」と言われたのを聞いてペトロは悲しみ,「主よ,あなたはすべてをご存じです.私があなたを愛していることはあなたがご存じです」と答えた.イエズスは彼に「私の羊を牧せよ」と言われた.

それから,「まことにまことに私は言う.あなたは若いとき自ら帯をしめ望む所に行ったが,しかし年をとれば手を伸ばして他の人から帯をしめてもらい,自分の望まぬ所に連れていかれるだろう」と言われた.*²これは,ペトロがどんな死に方をして神に光栄を帰するかを示すために言われたことである.

こう話してのち,ペトロに「私について来なさい」と言われた.』

(注釈)

*¹ 17節 教会の首位権がペトロに与えられた.イエズスはそのすべての群れをペトロに任せた.小羊は信者の群れを意味し, 羊は司教,司祭 を意味する.

(補足説明) ペトロは神の子キリストの教会の初代教皇となった.

*² 19節 ペトロは十字架にかけられ,ローマにおいて殉教した.

(補足説明) ある宗教が真実のものかどうかは, 真理・愛・正義を証明できるほどの真の信仰をもった 殉教者がそこから出現しているかどうかで分かる. 指導者自らが 人の救霊のために殉教し,他の人を生かすため自分自身を犠牲として献げるところに,真理・愛・正義の姿が目に見える形を取って証明される.

これは,永遠の存在たる真の神への信仰とそれに対して注がれる神からの恩寵なくしては,無知で臆病な人間の力だけでは不可能な行いである.

真理(信仰・希望・愛)は永遠に不滅なので,真理に生きるためにこの世(現世)で自分のすべてを犠牲としてささげる人は,来世で「真理すなわち永遠の命」に生きる.

真理たる神は,不信仰な罪深い人間を愛してくださり,永遠の命を与えようと御自分を(御子キリストにおいて)贖(あがな)いの犠牲として差し出された.愛たる神は我欲を追求する人間中心主義の現代主義(モダニズム)によって人が心身ともに堕落し滅びていくのを深く悲しまれ,人の改心(回心)を待たれる.

神は全能であるから,神への信仰はすべてを可能にする.神は必ず助けて下さるから,いかなる時も絶望にはあたらない.

→ヨハネによる聖福音書:第12章24-33節参照.

(受難に向かわれる直前のキリストのみことば)

『… もし一粒の麦が地に落ちて死なぬなら,ただ一つのまま残る.しかし死ねば多くの実を結ぶ.*¹自分の命を愛する人はそれを失い,この世でその命を憎む人は永遠の命のためにそれを保つ .

私に仕えたい人があればついてくるがよい.私がいるところには,私に仕える人もまたいる.もし私に仕えるなら,父はその人を尊(とうと)ばれる.

*²今しも私の霊は騒いでいる.私は何と言おうか,父よ,この時から私を救いたまえと言おうか.だが私がこの時を迎えたのは,そのためなのである.*³父よ,み名の光栄を現したまえ」.

そのとき天から,「私はすでに光栄を現したが,またさらに光栄を現すであろう」と言う声がした.そこにいてこれを聞いた人々は「雷が鳴ったのだ」と言い,他の人々は「天使が話しかけたのだ」と言った.

イエズスは「*⁴あの声が聞こえたのは私のためではなく,あなたたちのためである.今この世の審判が行われ,今*⁵この世のかしら(注・=悪魔)が追い出される.

*⁶私は地上から上げられて,すべての人を私のもとに引き寄せる」と言われたのは,ご自分がどんな死に方をするかを示されるためであった.』

(注釈)

*¹ 25節  この世の命を保とうとも,キリストを否む者は永遠の命を失うであろう.信仰のためにこの世の命を捨てる者は,永遠の命を得る .

*² 27節  イエズスは近い死を思って恐れる.しかし父のみ旨に自分の身をゆだねられる .

*³ 28節  イエズスは,御父の光栄を現すために,身を死にささげられた.イエズスの死は,御父がいかにこの世を愛されたかの証拠である .

*⁴ 30節 この声は,イエズスの死に対する神の印であった.

*⁵ 31節 サタン(悪魔)(14・30,16・11,コリント人への手紙〈第二〉4・4,エフェゾ人への手紙2・2,6・12)はこの世を支配している(ヨハネの手紙〈第一〉5・19).

イエズスの死は人間をサタンの支配下から救った .

*⁶ 32節  十字架の死の暗示であると同時に,復活の日の暗示でもある .この二つの出来事は,同じ奥義の二つの現れにすぎない.

②回勅「 クアンター・クーラー 」 原語(ラテン語)+英タイトル

“ QUANTA CURA ” - 「どれほど大きな配慮」(と……〈この後の文に続く〉)

(注・文頭2語がタイトルとなっている.)

(” The Syllabus of Errors “) - 「誤謬(ごびゅう=間違い・過〈あやま〉ち)の要旨(ようし)」

ENCYCLICAL OF POPE PIUS IX - 教皇ピオ9世の回勅

CONDEMNING CURRENT ERRORS - 現在の様々な誤謬を糾弾する.

promulgated on December 8, 1864 - 1864年12月8日に発表された.

(補足説明)

誤謬として糾弾の対象となった主な思想信条:

・良心・信仰の自由は各人の人格権として法的に宣言されるべき.

・この人格権はすべて正当に構成された社会で強く主張され,あらゆる市民に内在するものである.

・その権利は絶対的な自由の下に置かれ,教会権威や民間機関からの一切の制約を受けない.

・かかる権利の下で,あらゆる市民はあらゆる考えを(他の一切の権威からの制約を受けることなく),口承(口コミ)・マスコミ報道・出版物またその他あらゆる手段により,広く公(おおや)けにしまた明白に宣言・発表することができる.

・国民(=国政に参加する権利を持つ人の集団すなわち民主主義政府)の意思が最高権威であり,いかなる法・人間・神(宗教)の意思よりも優先する.

・政治秩序の下で成立する既成事実・状況に権力が置かれる(民衆政府の意思決定・行動に正当性を置き権威〈権力〉を持たせる).

・両親は,民法が許可する場合を除き,子供の教育に関わる権利を一切持たない.

・カトリック教徒は,教会法を国家が批准(ひじゅん)しない限り,教会の教えに従う道義的義務がない.

・国家は,教会や宗教的修道会の財産を没収する権利を有する.

など….

(解説)

これらの提案は,以下の目的でなされた:

・当時の欧州諸国において反教権(=聖職者の権威に反対する)政府の樹立を目指すため.

・数年以内に教育を世俗化するため,競合する独自の公立学校を開始せずにカトリックの学校をそのまま引き継(つ)いだり,相続人の財産と競合(きょうごう)する(宗教的)修道会を抑圧するため.

(補足説明)

一人の人間はほんの小さな存在で,その命はあまりに短い.たとえ世界で偉大な人間になったとしても(いまだかつてキリストによらずに真に偉大になった人間は世に一人も出現していない),時代から時代へ後継者をつなげていったとしても,それぞれの人間の意思は神の関与なしにはあまりにも移ろいやすい.

人間に宇宙法則・自然の摂理たる神を変えることはできない.人間はどんなに努力しても万物の支配者とはなれない.

人間は現世で他人を支配することを目指そうとするのではなく,永遠に真の支配者たる神に従うことによって,神の真実性・永遠性にあずかり,それらを自分のものとすることで神と共有し,また同じ信仰を持った人間と共に分かち合うことを目指すべきである.

「現世がすべてで死後の世界はない」と思うのは,あまりに浅はかな考えである.

人間は神を知ることなしに,決して真実を知ることはできない.

だから,人間の我欲の満足の追求を中心に置いている現代主義(モダニズム)は危険であり,人間を心身ともに滅ぼしてしまう致命的な思想である.

最後の訳注:

「われらの救いは主の御名のうちにあり.」について:

旧約聖書・詩篇: 第124篇8節 からの引用( 太字部分 ).(第124篇全文掲載)

イスラエルを救うもの

『 第124篇 (123)*¹上京の歌.ダビドの作.

主がわれらの味方でなかったら,

――*²イスラエルはこう言うべきだ――

主が味方でなかったら,

人々がわれらに背(そむ)いて立ったとき,

生きながら噛み裂いた(かみさいた)ろう.

彼らがわれらに向かって怒りを燃やしたとき,

そのとき,水はわれらを押し流し,

小川はわれらをのみ,

あわ立つ水に,

飲(の)まれたろう.

その歯のえじきにわれらを与えなかった主は

祝されよ.

われらの魂は小鳥のように逃れた,狩人(かりゅうど)の網(あみ)から.

網は破れ,われらは逃れた.

われらの助けは,
天地をつくられた主のみ名 .』

(注釈)

イスラエルを救うもの

*¹ イスラエルの民はさまざまな危険から救い出された.それは神の恵みだった.

*² 神が救いを下さなかったら,イスラエルはどうなったろうか.