エレイソン・コメンツ 第475回 (2016年8月20日)
3人の司教たちは真実を語りました.
だが,「見ようとしない者ほど盲目な者はいません.」
-彼は心まで閉ざします.
エレイソン・コメンツはこれまで二回にわたり,聖ピオ十世会 “SSPX” とローマの教会当局(訳注:教皇庁)との間の単なる実務的合意を頑なに求める同会総長( “the Superior General of the Society of St Pius X” )(訳注:フェレー司教)の考え方を取り上げてきました.これを読んだ親しい友人は私に,総長を駆り立てる発想が彼の4年前の書簡に明らかにされていることを思い起こさせてくれました.この2012年4月12日付け書簡は,ローマとの単なる実務的合意を進めることに対し強く警鐘を鳴らした SSPX の3名の司教に対し総長が応えたものです.エレイソン・コメンツの読者の多くは,そのような警告があったこと,それに総長が応えたことなど忘れてしまわれたでしょう.あるいは,そのことを全く知らない読者もおられるでしょう.だが,この時の書簡のやり取りには重要な意味が含まれており,内容を思い起こしてみる価値が十分にあります.いつものように書簡の要点を紹介し,私の簡潔なコメントを添えます.
3名の司教が教理に関する合意を伴わないローマとの実務的合意に反対した背景には,公会議派教皇庁と伝統派カトリック教会との間の教理をめぐる深い溝の存在がありました.ルフェーブル大司教( “Archbishop Lefebvre” )は亡くなられる半年前,第二バチカン公会議の諸文書と,その後に起きた事象を分析すればするほど,問題は宗教の自由,カトリック司教相互間における同僚意識および(キリスト教世界における)世界教会主義( “religious liberty, collegiality and ecumenism” )にまでかかわる古くからの特定の誤りというより、むしろ「主観主義に基づく全く新しい哲学」( “a whole new philosophy founded on subjectivism” )の根底に横たわる「心の全面的な倒錯」( “a total perversion of mind” )に起因していると強く痛感すると話されました.ローマ人たちは SSPX に対しいまや敵対的でなく,むしろ好意的であると言い張るフェレー司教に対し,3人の SSPX 司教はルフェーブル大司教の次の言葉を引用して応えました.そのような親切な態度は単なるローマの「作戦」にすぎません.「私たち側の人々」にとって,「自らを公会議派の司教と近代主義派ローマの手に委ねる」くらい危険なことはありません.3人の司教は,単なる実務的な合意が SSPX をばらばらにし,やがて崩壊させることになると結論づけました.
彼らの反対は,主観主義 “subjectivism” と客観的真実( “objective truth” )の間の溝の深さに匹敵するほど根深いものでした.これに対し,フェレー司教は以下のように応えました(グーグルでフェレー司教,2012年4月14日付け返書 を検索しご覧ください): 1 .3人の司教は「あまりにも人間的( “too human” ),”宿命論者的 “fatalistic” 」です. 2 .教会を導くのは聖霊( “the Holy Ghost” )です. 3 .ローマの SSPX に対する真の善意の裏(背後)にあるのは神の摂理です. 4 .公会議の誤りを「超異端」( “super-hersy” )と断じるのは不穏当な誇張です. 5 .そう断定することこそが,理論的に伝統派を離教(分離・分裂)へ導きます. 6 .ローマ人で第二公会議を信じている者は次第に減ってきているのですから,必ずしも彼らすべてがモダニストだとは言えません. 7 .ルフェーブル大司教がいま生きておられたら,ローマの SSPX に対する提案を受け入れることに躊躇されなかったでしょう. 8 .教会内部には常に玉石が入り混じっています.だから,公会議派に石が混じっていることは私たちが逃げ越しになる理由になりません. 9 .私はあなたたち3人からぜひアドバイスを頂きたいと望んでいましたが,あなたたちは,それぞれ違う立場から私に「猛烈に( “strongly and passionately” )反対し,私を理解してくださいませんでした」し,時には人前で私を脅かし( “threatened me in public” )さえしました. 10 .真の(=カトリック)信仰 “Faith” を権威 “Authority” と対比するのは「聖職者の精神( “the priestly spirit” )に反する」ことです.
最後に,フェレー司教の論点に対する私の手短なコメントは次のとおりです.
1 .3人の司教たちが「人間的すぎる」ですって? ルフェーブル大司教が言われたように,問題となっている大きな溝は神学的 (超自然的)( “theological (supernatural) ” )というよりむしろ哲学的 (自然的)( “philosophical (natural) ” )なものです.「宿命論者的すぎる」ですって? 3人の司教は宿命論的というよりむしろ現実的( “realistic than fatalistic” )でした. 2 .公会議派の聖職者たちが教会を壊そうとしているのに,彼らが聖霊に導かれているというのでしょうか? 3 .ローマの真の善意の裏に潜むのは,SSPX の抵抗をなし崩しにして新しい公会議派宗教へ取り込もうとする固い決意です.これまで,いくつの伝統派宗派(=伝統派修道会)( “Traditional Congregations” )が同じ道をたどったでしょうか? 4 .主観主義 “subjectivism” と真実 “Truth” の間の溝の深さを理解していないのは諸々の主観主義者自身 “subjectivists” だけです. 5 .真実に固執する客観主義的カトリック信徒たち( “Objectivist Catholics” )は離教からほど遠い存在です. 6 .ローマの一味を牛耳っているのはフリーメーソンたち “Freemasons” です.そこにいる非モダニストたちには話す権限などありません. 7 .ルフェーブル大司教がローマの提案を受け入れただろうと信じるのは彼を全く誤解しているからです。 8 .フェレー司教のスプーンは彼には小さすぎてローマの晩餐会で(客観主義者的)悪魔たちをすくい取れないでしょう. 9 .3人の司教はフェレー司教を十分に理解していましたが,彼らに耳を貸さなかったのはフェレー司教の方です.彼は自分が間違いをしない人間だと思っているのでしょうか? 10 .聖パウロは確かに権威 “Authority” が真の(=カトリック)信仰 “Faith” に異を挟みうると考えました.(使徒聖パウロのガラツィア人への手紙:第1章8-9節および第2章11節を参照) (訳注後記) .聖パウロは「聖職者の精神」“priestly spirit” を欠いていたのでしょうか?
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
第5パラグラフの 訳注 を追補いたします.
(使徒聖パウロのガラツィア人への手紙:第1章8-9節および第2章11節)