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恐るべき転落 I

エレイソン・コメンツ 第308回 (2013年6月8日)

聖ピオ十世会( “the Society of St Pius X” = SSPX” ) が1970年から1990年までルフェーブル大司教( “Archibishop Lefebvre” )のもとで維持(いじ)されてきた状態からざっと過去15年間に起きた状態に転落してしまったのはきわめて恐るべきことです( “The fall of the Society of St Pius X from what it was under Archbishop Lefebvre between 1970 and 1991 to what it has become over the last, say, 15 years, is little short of horrible.” ).今回のエレイソン・コメンツから始まる短いシリーズで,まず初めにこの恐るべき状態が私たちの周囲のみじめな世界で当たり前のことになってしまったのはなぜなのかを考えてみます.理解するということは赦(ゆる)すことであり,私たちはすべて赦すことを求められて今日のような結果になったのでしょう( “In a brief series let us see firstly why the horror is normal in the poor world around us, because to understand is to forgive, and we are all in need of forgiveness; …” ).次にこの恐るべき状態に向き合ってみます.それは落胆(らくたん)するためではなく,間違いなく次に起こりうるもっと悪いことに備(そな)え私たちの気を引き締(し)めるためです( “… secondly let us face the horror, not in order to be discouraged but on the contrary in order to gird our loins for worse almost certainly to come; …” ).そして3番目に気を引き締めるためには私たちが何をすべきか考えてみます.神の天国では,神はけっして私たちに為(な)すすべが何もないようにされていないはずだからです(ただし,私たちは手元(てもと)にわずかに残っている水をすべて砂漠〈さばく〉に流し込むようなことをしないことが大切です)( “… and thirdly let us see what we can do to gird our loins, because beneath God’s Heaven he cannot have left us with nothing that we can do (but in this connection it is important not to pour into the sand the little water that we have). ” ).カトリック教徒の3人の心ある人々が私たちの時代をどのように見抜(みぬ)いたかを振り返り,この恐ろしい状態がなぜ当たり前のことになったかを理解することから始めましょう( “Let us begin with three fine Catholic minds taking the measure of our age, to see why horror is today the norm. ” ).

教皇レオ13世( “Pope Leo XIII” )は1884年に発せられたフリーメーソンに関する偉大な回勅(かいちょく)のなかで,その邪悪な原理原則がいかにカトリック教会を無視し( # 13),傷(きず)つけ( # 14),破滅させ( # 15),さらにあらゆる有益な宗教( “all positive religions” )の破滅(はめつ)( # 16)からあらゆる自然宗教( “all natural religion” )の破滅( # 17),神の創造,摂理(せつり),霊魂の不滅(ふめつ)といった偉大な自然の真理の破滅へ導くかに注意を喚起(かんき)されています( # 18)( “In his great Encyclical letter of 1884 on Freemasonry, Pope Leo XIII marks how its evil principles advance from (#13) disregarding to (#14) injuring to (#15) destroying the Catholic Church, and then from (#16) the ruin of all positive religions to (#17) the ruin of all natural religion to (#18) the ruin of great natural truths such as God’s Creation and Providence and the immortality of the soul.” ).21世紀の今日,私たちは理論的にさらに歩(ほ)を進め,真理の概念(がいねん)そのものの破滅にまで至(いた)っています.人の心は泥沼(どろぬま)にはまってしまい,歴代の教皇,枢機卿,司教たちの心といえども例外ではありません( “In the 21st century we have, logically, gone further still, namely to the ruin of the very notion of truth.

教皇聖ピオ10世は1907年の近代主義( “Modernism”,モダニズム )に関する偉大な回勅(かいちょく)のなかで,近代主義者たちが同じようにあらゆる真理,思想を破滅させたと明言されました( “In his great Encyclical letter of 1907 on Modernism, Pope St Pius X saw clearly the same ruin of all truth and thought by the modernists.” ).諸教皇の威厳(いげん)にもかかわるようなことでしたが,回勅 Pascendi (訳注・”PASCENDI DOMINICI GREGIS” ( “Feeding the Lord’s Flock” ),「主の群(む)れを養(やしな)う」の意.

第二バチカン公会議がカトリック教教理にもたらした大惨事(だいさんじ)を見抜(みぬ)いた3人目の心あるカトリック信徒はロマーノ・アメリオ ( “Romano Amerio” ) です( “A third Catholic mind, measuring the havoc wrought upon Catholic doctrine by Vatican II, was that of Romano Amerio, …” ).彼はイタリア人の平信徒ですが,ルフェーブル大司教はかつて彼の現代における諸々の過(あやま)ちについての分析(ぶんせき),Iota Unum (訳注:フルタイトル= “Iota Unum: A Study of Changes in the Catholic Church in the 20th Century by Romano Amerio” )を高く評価されました( “… an Italian layman whose analysis of modern errors, Iota Unum, was highly praised by Archbishop Lefebvre.” ).この分析のなかでアメリオは(読者のなかにこの分析の参考文献を探し出してくださる方はおられないでしょうか?),事態(じたい)がいまのまま推移(すいい)すれば,私たちは最終的に話すことも書くこともできなくなり,すべてが黙(だま)り込むようになるだろうと述べています! ( “At one point Amerio says (could somebody find me the reference ?) that if things continue on the same path as now, eventually it will become impossible to speak or write any more, all that will remain is to keep silent ! ” ) このことは想像しがたいように思えるかも知れませんが,ごく最近アメリカの非常に優(すぐ)れた評論家ポール・クレイグ・ロバーツ博士(はかせ)( “Dr.

正(まさ)に,現在は反キリスト教運動 “Antichrist” のドレス・リハーサルが進行中です( “Truly, in this present dress rehearsal for the Antichrist, …” ).もしその期間が短縮(たんしゅく)されないなら,私たちの主イエズス・キリストが言われているとおり(新約聖書・マテオ聖福音書:第24章22節)(訳注後記1),私たちの誰もがすべて(一人の例外もなく)心と信仰を失(うしな)ってしまうでしょう( “… if these days were not shortened, as Our Lord says (Mt.

だが,私たちの主は私たちが審判(しんぱん)をし有罪判決(ゆうざいはんけつ)を下(くだ)す( “judge-condemn” )ことを禁じておられます(新約聖書・マテオ聖福音書:第7章1節)(訳注後記2)( “However, while Our Lord forbids us to judge-condemn (Mt.

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教

第5パラグラフの訳注1:

新約聖書・マテオ聖福音書:第24章22節 (1-51節を掲載)

LE SAINT ÉVANGILE DE JÉSUS-CHRIST SELON SAINT MATTHIEU, XXIV, 22 (1-51) (仏語)

EVANGELIUM SECUNDUM MATTHÆUM XXIV, 22 (1-51) (ラテン語)

エルサレム滅亡の予兆.世の終わりとイエズス・キリストの来臨

エルサレム滅亡は世の終わりの予兆であって,ある節は,エルサレムの滅亡に関することであり,またある節は世の終わりに関することである .

『 1. イエズスは神殿を出られた.弟子たちが近寄って神殿の構えについてイエズスの注意をうながしたので,

2. 「*そのいっさいのものをあなたたちは見ている.まことに私は言う.ここには石の上に一つの石さえ残さず崩れ去る日がくる」とイエズスは答えられた .

3. イエズスがオリーブ山に座っておられると弟子たちがそっと近づいて,「そういうことがいつ起こるか教えてください.また,あなたの*来臨(らいりん)と世の終わりには,どんなしるしがあるでしょうか」と尋(たず)ねた.

4. イエズスは答えられた,「人に惑わされぬように気をつけよ.

5. 多くの人が私の名をかたり,〈*私こそキリストだ〉と言って多数の人を迷わすだろう.

6. また,戦争や戦争のうわさを聞くだろう.だが心を騒がすな.そうなってもまだ世の終わりではない.

7. 〈民は民に,国は国に逆らって立ち〉,諸方に,ききんと地震がある.

8. だがこれらはみな生みの苦しみの始めでしかない.

9. そのとき人々はあなたたちをいじめ,殺し,私の名のためにすべての民があなたたちを憎むだろう.

10. そのときには多くの人が滅び,*互いに裏切り,憎み合い,

11. *多くの偽預言者が起こって人々を惑わし,

12. 不義が増すにつれておびただしい人の愛が冷める.

13. だが終わりまで耐え忍ぶ者は救われる.

14. 天の国のこの福音が,*全世界にのべ伝えられ,諸国の人々に向かって証明されるとき,そのとき*終わりは来る.

15. 預言者ダニエルの言った〈*荒らす者のいとわしいもの〉が聖所に立つのを見たら,
――読む人は悟(さと)れ――

16.そのとき,ユダヤにいる者は山に逃げよ.

17. 屋根の上にいる者は,家のものを取り出そうとして下りるな.

18. *畑にいる者は,がいとうを取りに引き返すな.

19. その日不幸なのは,身ごもった女と乳を飲ます女である.

20. こういうことが冬や安息日に起こらぬよう,その日逃げ出すことのないように祈れ.

21. そのときには,世の始めから今までにもなく,後にもないほどの大艱難(だいかんなん)が起こる.

22. その日が短くされぬなら救われる者は一人もない.だがその日は選ばれた人々のおかげで短くされる .

23. そのときには〈そら,ここにキリストが.あそこにキリストが〉と言われても信じるな.

24. 偽キリストや偽預言者たちが起こって,できるものなら選ばれた人たちをさえ迷わすほどの偉大なしるしや奇跡を見せるだろう.

25. いま,私はあらかじめこのことを知らせておく.

26. ある人が〈彼は荒野にいる〉と言っても出ていってはならぬ.〈彼は奥の間にいる〉と言っても信じるな.

27. 人の子の来臨は,稲妻(いなずま,いなづま)が東から西へとひらめきわたるのに似ている.

28. *はげたかは死骸(しがい)のあるところに集まる.

29. これら日々の難難(かんなん)の後直(ただ)ちに日は暗くなり,月は光を失い,星は空から落ち,天の力は揺れ動く.

30. そのとき人の子のしるしは天に現れる.地上の民族はみな後悔し,人の子が勢力と大いなる栄光をおびて空の雲に乗り来るのを見るだろう.

31. また,らっぱの高いひびきとともに,遺わされた天使たちが天のこの果(は)てからあの果てまで,地の四方から選ばれた人たちを集める.

32. いちじくの木から意味をくみとるがよい.その枝が柔らかくなって葉が芽生(めば)えれば,もう夏は近いことがわかる.

33. それと同じことだ.そういうことが起これば,*ことはもう迫ってきた,門に近づいたと知れ.

34. まことに私は言う.それらがみな実現するまで,*今の代は過ぎ去らぬ.

35. 天地は過ぎ去る,だが私のことばは過ぎ去らぬ.

36. その日そのときを知る者は一人もない.天にいる使いたちも*子も知らぬ.ただ父だけが知られる.

37. 人の子の来臨はノアの日々と同じである.

38. 洪水の前,ノアが箱舟に入るその日まで,人々は飲み,食い,めとり,とつぎなどし,

39. 洪水が来てすべてを滅(ほろ)ぼすまで何も知らなかった.人の子の来臨もそれと同様である.

40. そのとき二人の男が畑にいたら,一人が取られ,一人が残される.

41. 二人の女が臼(うす)をひいていたら,一人が取られ,一人が残される.

42. 警戒(けいかい)せよ,主がいつの日来られるかは,だれも知らぬ.

43. あなたたちにも分(わ)かることだが,主人が盗人の来る時間を知っていれば,警戒し,住まいの壁に穴をあけさせはすまい.

44. あなたたちも,思わぬときに来る人の子のために,用意をしているがよい.

45. 主人が,ときに応じて食べ物を与えさすために,下男(げなん)たちの上に立てた忠実な抜け目のないしもべを想像せよ.

46. 主人が帰ってきたとき,そのようにしているのを見られるしもべは幸(さいわ)いである.

47. まことに私は言う.主人はすべての財産をその人に管理させるだろう.

48. だがしもべが悪人で,主人は遅くなるだろうと心の中で考え,

49. 仲間を打ちたたき始め,酒飲みと一緒に飲食していれば,

50. 主人は思いがけない日思いがけないときに来て,

51. *彼を引き裂(さ)き,偽善者(ぎぜんしゃ)と同じようにあしらうであろう.そこには嘆(なげ)きと歯ぎしりがあろう.

(注釈)

エルサレムの滅亡と世の終わり ( 24 ・1-36)

2 神殿滅亡の預言は,四十年後,ティトゥス将軍のローマ軍によって実現された.この章に述べられている二つは別の出来事であるが,前者は後者の予兆(よちょう)である.すなわち,エルサレム滅亡は世の終わりの予兆であって,ある節は,エルサレムの滅亡に関することであり,またある節は世の終わりに関することである.

3 ギリシア語の「パルシア」は,元来,王侯などの訪問を意味する.キリスト信者は,キリストの光栄の来臨を,このことばで表現する.

5前七〇年,何人かのユダヤ人がメシアと名のって人を集めた.「キリスト」とはメシアのことである.

10 信者の中には,教えを捨てて兄弟を裏切る者が出るだろうということ.ある聖書学者は,ローマ軍に囲まれたエルサレム市内の混乱を指すという.

14 当時のギリシア・ローマの世界.パウロによると,七〇年以前すでに福音は全ローマに広まっていた.

* エルサレム滅亡のこと.

15 旧約聖書・ダニエルの書 9・27.この預言では,「荒らす者」はアンティオコ・エピファネである.彼は神殿内に「いとわしいもの」(偶像)の祭壇(さいだん)を置いた.しかしここは聖都を包囲し,神殿を破壊するであろうローマ軍を意味する.神なるキリストを殺したこの町の罰は,世の終わりの罪人の身に起こることの予兆である.

18 エルサレムのキリスト信者らは,イエズスのこのことばを思い出して,ローマ軍が攻め寄せるのを見たとき,トランスヨルダンのペラに逃げた.

28 キリストと天使らは,さばくべき人のいる所に現れるであろう.比喩(ひゆ)的な意味においては,死骸(しがい)はローマに囲まれて滅亡にひんしたエルサレムだと考えてもよい.

33 ある訳では「彼はもう近い」といい,キリストの来臨が近いという意味にとっている.イエズスの時代の人々を指すようである.今の代がみな死ぬまでに,エルサレムは滅亡するであろう.ある学者は次のように言う,「世の終わりになるまでイスラエル民族はなくならずその時になってはじめて改心するであろう」.

36 人としてのイエズスには,審判の日を定めて知らせる使命がないからこう言われたのである.

イエズスの来臨と警戒 ( 24 ・37-51)

51 このことばは,昔よく行われていた「引き裂きの刑」の意味にもとれ,また,その悪人を抜き捨てるとか,その悪人の財産を他人に分け与えるとかの意味にもとれる.いずれにしろ,その人に与えられる地獄(じごく)の罰(ばつ)を意味する.

訳注を追補いたします.

(他の聖書の引用箇所とその注釈.)