エレイソン・コメンツ 第242回 (2012年3月3日)
読者全員でないにしても多くの方々が先週ドイツから届いた朗報をもう耳にされていることでしょう.先週の灰の水曜日( “Ash Wednesday”, 22日),ニュルンベルグの低地バイエルン控訴裁判所 (= -控訴審.“the Appeals Court of Lower Bavaria in Nuremberg” が「人種的扇動」のかどで昨年7月11日にレーゲンスブルグ地方裁判所が私に下した有罪判決を破棄(はき)しました “…quashed the Regensburg Regional Court’s condemnation of me on 11 July of last year for “racial incitement”.” .私は2008年11月,ドイツ国内で行われたスウェーデンのテレビ局によるインタビューで,特定の歴史的な出来事につき一般的な見解と異なる政治的に正しくない見解を述べたいう理由で糾弾(きゅうだん)されましたが,今回,当控訴裁判所は原判決破棄の判決を下した上でバイエルン州政府に対しこれまでの私の裁判費用を支払うよう命じました.同控訴裁判所の判事が採(と)りいれざるを得ない主張を展開して下さった私の弁護人エドガー・ヴァイラー教授 “my defence lawyer, Prof.
しかし,控訴審判事たち( “the Appeal judges”.3人)が手続き上の理由を根拠に “on procedural grounds” その判決を下(くだ)した限りでは,私はまだ無罪かつ潔白(けっぱく)というわけではありません.判事たちの下した結論は次の通りです : 「起訴状が被告人の行状(ぎょうじょう)を罰しないと述べ(今までのところ),被告人を刑に処(しょ)することが妥当と思われるような具体的状況を空白のまま保留している場合,その起訴状は当該事件の内的および外的事実を明記しておらず,上に列挙する被告人を公判に付すための当該行為の違法有責性を定義づける機能を果たしていない.(よって)本件請求を棄却する.」 (訳注後記)
したがって,理論的にはレーゲンスブルグ検察庁 “the Regensburg Prosecutor’s office” はその手続を修正した上で再度訴追手続(そついてつづき) “the prosecution” をやり直すことができます.だが実際には,当局はおそらくそうすることをためらうでしょう.というのは,控訴審判事たちは検察当局に対し,私の一連の発言を知るに至ったのが正確には誰なのか,彼らがどのような手段でその発言を知るに至ったのか,その発言がいかにドイツ国内の平和を乱すことになったのか,そして最後に私が自分の発言がドイツ国内で知られることにどのように同意したのかについて,それぞれ明確にするよう求めているからです.
現在検察当局にとって,この1カ月間,全世界のメディアが行った(主として教皇ベネディクト16世に無理やりカトリック教伝統派 “Catholic Tradition” から距離を置くようにさせる目的の)もろもろの論評(ろんぴょう)が,ドイツはもとより,世界中に打撃を与えたことを示すのは容易かもしれませんが,ドイツ国内の平和が乱されたことを証明するのはそう簡単なことではないでしょう.それに私自身がインタビュー(ユーチューブでアクセス可能)の終わりの部分で自分の発言がドイツ国内で公表されることを望まないとはっきり述べている以上,検察当局にとって私がそれを望んだと証明するのはきわめて難しいでしょう.したがって,検察側が私に対する訴追を続けるかどうかは神の御手のうちに置かれています.
ところで,親愛なる読者のみなさま,私がドイツでの裁判により過度に大きな苦痛を受けたとは思わないでください.私は裁判進行中の3年間,聖ピオ十世会内に居(い)ながらにして(訳注・聖ピオ十世会の所属にとどまり続けたままで)同会から追放されたこと( “three-year exile within the SSPX” )をあまりの悲劇(訳注・悲惨. “too tragically” )と受け止めましたが,それ以上の苦痛は感じませんでした.その追放もどちらかと言えば心地よいものでした.そして,(訳注・今日まで数回にわたって続いた)この裁判もすくなくとも当面は終わったわけです.私のためにこの3年のあいだ祈ってくださったみなさまに感謝します.私は祈ってくださった読者の多くの方々を知っています.その一人ひとりに感謝しています.私はみなさまのお気持ちに応(こた)えようとこの1月にミサ聖祭のノベナ(訳注・9日間のミサ聖祭)を神に捧げました( “I celebrated in January a novena of Masses for your intentions.” ).なぜならこれから先,裁判よりはるかに大きないくつもの試練が私たちすべてを待ちかまえているに違いないからです.
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
第2パラグラフの訳注:
「手続き上の理由を根拠に…」 “on procedural grounds” の意味について:
(1)
控訴審(裁判所)の下した結論の英語原文:
(2)
「内的事実」 “the inner fact” =「主観的(構成要件的)事実」(法律用語〈刑法〉).
当該行為時において行為者〈=被告人〉に「故意」または「過失」があったかどうか→「有責性」の有無〈=行為が違法とされた場合その責任を被告人に問えるかどうか〉を裁判所が判断する材料となる「(行為当時に行為者が持っていた)主観的認識」を指す.
(3)
「外的事実」 “the outer fact” =「客観的(構成要件的)事実」.
当該行為が刑法で定められた「犯罪(の)構成要件」に該当するものかどうか→問題とされている行為に法律上の「違法性」が認められるかどうかを裁判所が判断する材料となる「客観的事実」を指す.
(4)
(参考説明)(ふつうの言葉で説明します)
I.「犯罪」の意味(日本の場合):
→「ある国の国民が刑罰(つまり害悪)を使ってまで守ろうとする法的利益(法益)を侵害する行為(有害な行為)」
→大きく①「国家的・社会的法益に対する罪」,②「個人的法益に対する罪」に分けられる.
→有害な行為は「作為(積極的な行動)」による場合と「不作為(怠慢)」による場合の双方を含む.
→法律(刑法)上の定義:犯罪とは①「(刑法に定められた,犯罪)構成要件に該当する」→②「違法」→③「有責」な「行為」.
II. 国家権力(公権力)による刑事司法と基本的人権について:
日本のような自由主義国においては,人権保障の観点から,犯罪防止としての刑罰は,できるだけ,他のより害悪の少ない手段(たとえば,①社会政策,②倫理,③道徳など)にとってかえられるべきで,公権力による人権侵害の度合いを最小限にとどめる努力が払われなければならない.(重い刑罰は,刑事訴訟手続上の冤罪〈えんざい〉事件など,無実の人を罪に陥(おとしい)れてしまうような重大な人権侵害の危険が常にある).