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林檎の腐敗

エレイソン・コメンツ 第200回 (2011年5月14日)

ひとつの腐った林檎 (りんご) がふたつの方法で今日の輝きを失ったカトリック教会の暗闇に小さな光を当てるかもしれません.まず第一に,私たちは林檎が隅々まで腐(くさ)るのを待ってから林檎すべてが腐ったと判断するわけではありません.林檎にはまだ腐っていない部分が残っています.だから林檎が腐っているかどうかという問いに答えるとき,私たちは二通りの区別をする必要があります: 全体として,然(しか)り; ある部分について,然り; ほかの部分については,否(いな),という風にです.そして第二に,林檎即(そく)腐敗,腐敗即林檎ではありませんが,腐敗とその元の林檎は切り離すことはできず,林檎なしに腐敗は存在できません.この常識の第一の部分を新しい典礼によるミサ聖祭 ( “the Novus Ordo Mass” ) と (それを考案した公会議に則した) 「公会議主義下の教会」 ( “Conciliar church” ) に,第二の部分を「公会議主義下の教会」とローマ教皇職 ( “the Papacy” ) に当てはめてみましょう.

新しいミサ聖祭について言えば,それは公会議の人間中心主義によるものですから 全体として 腐ったものです.だが そのある部分 (例えば奉献(文) “the Offertory, offertorium” ) は明らかにカトリック教とは異なるものである反面, ほかの部分 (例えば求憐誦 〈キリエ〉 “the Kyrie Eleison” ) はカトリック教に則ったものとなっています.新しいミサ聖祭は 全体として 腐っており徐々にカトリック教徒をプロテスタント教徒へ変えていくものですから,参席するに適したものではありません.だが,聖変化( “Consecration” )にあたる 部分 はカトリック教に則っており有効だと言えます.したがって新しいミサ聖祭について,有効だから参列できるとも,参列できないのだから無効だとも,いずれも言えないのです.実際には,新しいミサ聖祭の本質的な 部分 は有効かもしれませんが,それだけでは個人の信仰をこの新しいミサ聖祭 全体に 参列する危険に曝(さら)すに足る理由とはなりません.(訳注後記)

同じように,今日のカトリック教会は公会議主義がその至るところにまん延している限り 全体として 腐っているのですが,だからといってカトリック教会のあらゆる(一つ一つの) 部分 が公会議主義で腐っているわけではありません.したがって,全体が公会議主義だからといってカトリックのまま残っているいずれかの部分を非難するのは間違っていますし,同じようにカトリックのまま残っている部分が多少あるからといって公会議主義全体を許容するのも間違っています.自分の心を現実に合わせるためには,それぞれの異なる部分ごとの間での区別, および 全体とそれぞれの異なる部分との間での区別の 双方 が必要です.

次に今日の教会に腐った林檎との比較の第二の部分を当てはめるなら,二つの教会すなわち「公会議主義下の教会」と「カトリック教会」について話すのが純粋な意味で有意義と言えるでしょう.なぜなら,この二つの教会のそれぞれが 純粋な状態だと 双方は林檎と腐敗のように互いを排除しますが, 現実の世界では 公会議主義がカトリック教会の中の至(いた)るところに見出されるからです.だが実生活では,双方は林檎と腐敗あるいは寄生生物と宿主と同じように切り離すことができません.現実の世界において存在する唯一の教会は,カトリック教会のみであり,今日その唯一の教会が公会議主義の腐敗により至るところで苦しめられているのです.

したがって公会議主義の教皇( “a Conciliar Pope” )について言えば,彼は二つの教会の長だとするのが純粋な意味で有意義な言い方でしょう.なぜなら時にはカトリック的な,時には公会議主義的な言動をとることによって彼は常にカトリック教会と公会議主義で腐敗したカトリック教会の両方の長としての立場に自身を置くからです.だからといって彼が現実には別々のものとなっている二つの教会の長だと言うことではありません.いまでは公会議主義の腐敗のため満身創痍(まんしんそうい)となっている唯一真実のカトリック教会の中で,彼がカトリック教義(カトリシズム)と公会議主義の双方の長( “head of both the Catholicism and the Conciliarism” )だということを言っているのです.

それにしても,私たちのカトリック教会指導者たちが神の名にかけて公会議主義の腐敗に夢中になっているのはなぜでしょうか? それは現代社会で人々が自由を渇望するためです ( “Because of the modern longing for liberty.” )(訳注後記).これは今回の話とは別のことです.だがこれとは別にして,私たちは教皇ベネディクト16世がもう一度林檎と腐敗の違いが分かるよう全力を尽くして教皇のために祈らなければなりません!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教

第6パラグラフの訳注:

「自由」 “ liberty ” について:

ここでの「 自由 」とは,「 権利 ( 人権 )」や「(人が際限なく気まま勝手にしたい欲を縛りつけるような「神の法=自然法〔真理〕」による制約からの) 解放 」を意味している.

第2パラグラフの訳注:

〈伝統カトリック教義に則した典礼〉からの解説〉

① 「奉献」 “the Offertory, offertorium ” について.

(典礼文)
Orémus. (司祭)
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OFFERTORIUM – 奉献文
「聖なる父,全能永遠の神,…」

「主よ,私は,罪なき者の一人となるために,私の手を洗い,
(そして主の祭壇のかたわらに立とう.)」

「聖なる三位一体よ…」

「祈れ,兄弟たちよ,…」

「密誦」

(解説)

・オッフェルトリウム Offertorium は,献物をさし出すことであるが,「奉献」ということに対する現代の信者の考えは,昔の信者の考えとは、大分相違がある.
昔の信者は,自分の献物(パン,ぶどう酒,くだもの,花など)を,自分の手で聖堂にもって行った.
これらの物は, 自分自身の内的供物の象(かたど)り であった.奉献のときになると,助祭(あるいは司祭)は,その供物をうけるために,信者の方へ下りてきた.
この供物の中から,その日のミサと聖体拝領に必要な分だけをとり,残りの分は,司祭自身あるいは信者の貧しい人々のために用いることになっていた.
こういうことを行っている間に,その日の祝日あるいは奥義をあらわす奉献文の交誦と詩篇とをうたっていた.

・信者から献物をするこの習慣は,中世時代から次第に変化し,司祭のとなえる代願の祈りは,現在,はじめの「オレムス Oremus 」(われらは祈りましょう)だけが残っている.
・それから,司祭は,副助祭あるいは侍者が祭壇(さいだん)にもってくる献物を,神にささげる.カリスの準備は,祭壇上で行われる.水とぶどう酒とを祝福するに当っての祈りは,御降誕の祝日の昔からの祈りで,水とぶどう酒とを交ぜることの象徴を知らせるのである.
最後の晩さんのとき,主は,聖別したぶどう酒に,少しの水をまぜ給うた .

奉献の祈りはすべて,まことに立派な祈りであって,キリスト教的いけにえなる聖変化へと漸次祈りは高潮してゆく.
・ もう世俗的な使用に供されないという意味をあらわすため に,司祭は,献物のパンとぶどう酒とに撒香する.それから,司祭は,自分の手をきよめて,詩篇二十五からの祈りをとなえる.( Lavabo 洗いましょうの意)
・聖なる三位一体よ,うけ給え( suscipe, sancta Trinitas ) という祈りは,いけにえであるこの献物を,キリストの奥義と聖人らの功徳とに結びつける.
・それから司祭は,参列者の祈りと一致するために,「兄弟たちよ,祈れ」( Orate, fratres )とすすめる.信者たちは,それに対して,神の栄光と公教会の善とのために,この献物を嘉(よみ)し給え,と答える.
・すると司祭は,献物に最後の祈り 密誦( Secreta )をとなえ,奉献の式を終る.
密誦を終るとき,司祭は,声を高めて序誦をうたう.
(この後「聖変化」の部の典礼へ続く)

② 「求憐誦 」〈キリエ〉 “the Kyrie Eleison, Kýrie, eléison ” について.
入祭文を終って後,司祭は祭壇の中央に行き,侍者と交互に求憐誦を唱える.

(典礼文)
「主,あわれみ給え」

「キリスト,あわれみ給え」

「主,あわれみ給え」

(解説)

・助祭が会衆とともに祈っていた昔の典礼の名残りとして残っている.助祭が会衆とともにとなえていた祈りは,主として聖歌であった.
・キリエ・エレイソンは,ギリシア語で,古代ローマにおける典礼がギリシア語で行われていたことを思い出させる.
・これらの祈願は,主なるキリストに向ってなされる.「キュリオス」( Kyrios )とは,われわれを救い給う光栄の「主」である.

③ 「聖変化」 “Consecration, Consecrátio ” について.

パンとぶどう酒が神の羔(こひつじ, Agnus Dei )たる神の御子キリストのいけにえの御聖体( Corpus Christi )とキリストの流された〈人類の罪の赦しのための〉新しい契約の御血( Sanguis )に変わること)

…「われらの拝領せんとするわれらの主イエズス・キリストの御体と御血とのこの混和と聖別とが,われらの永遠の生命の糧(かて)とならんことを.」(聖伝のミサ典礼文より)

(解説)

聖体の序誦

元来,序誦は,聖変化の部に属し,この二つは,聖体の荘厳な祈りであった.現在では,三聖頌( Sanctus )が,この二つの間に加わった.
しかし・現在(1955年), 序誦が聖変化の部と分離 したにしても,なお序誦は,聖変化という重大な行いの序曲である.

序誦( Præfatio )は,ギリシア語から出た言葉で,荘厳な祈りを意味する.
この祈りは,主への感謝であり,聖体の讃歌であって,これによって司祭は,神のこの大なる御業を讃美するのである.また,これは,その日の意義を思い出させる.
司祭は,われわれが深い敬虔をもって,天使とも一致し,聖体をささげうるようにととなえて,この祈りを終る.

聖なるいけにえ

低いこえで聖体への祈り(典文〈カノン, Canon 〉)をつづける 司祭に,信者は一致する.司祭は救主の功徳によって,教皇と司教とをかしらとする全公教会と,すべて参列する者のためにささげるこのいけにえをよみし給えと,神に祈る .

こうして,全団体を神の御手にゆだねてのち, 地上の教会から天に集る教会へ と心を移し,
諸聖人の通功をこい願い( Communicantes 凱旋の公教会の祈念),天の聖人たち,御母聖マリア,使徒,殉教者らの祈りに委託して,司祭は,( Infra actionem )いけにえを行いはじめる.

司祭の先ずすることは,献物の上に両手をひろげることである.これは,会衆を代表して,
えらばれたいけにえの上に掩(按)手する旧約の祭司たちの行いを思い出させる( Hanc igitur さて,これを).
それから司祭は,キリストの民のこのいけにえを嘉(よみ)し給い,全くうけ入れ給うようにと祈る( Quam oblationem この献物を).
それから,このいけにえが、主イエズスのいけにえと合わせられる価値あるものとなるように、神御自身はからい給えと祈る.

公教会は,キリストと同じように,子としての信頼をもっている.キリストと同じく公教会は,御父が常に自分の願いをきき入れ給うことを知っている .(ヨハネ聖福音,11章42節)
これがために,自然に,聖体制定の次第を語るに至る. いま,秘蹟的に話し,最後の晩餐の行いを新たにし給うのは,キリスト御自身である.キリストは,いけにえをくり返し給う .

これは, 不敗の勝利者のいけにえ である.なぜなら,最後の晩饗のときより,この世の終りの日まで,秘蹟なるこのいけにえは, 不滅なるもの(生命=キリスト)の死をくり返しつづけるからである .
キリストの御死去によって,栄光はキリストに帰せられ,十字架によって,自分自身にすべての人間をひきつけるべき御者は,称揚される .これが,奉挙( Elevatio )の象(かたど)りである.
この奉挙の習慣は,大分時代を下ってからのことである.

祈念誦( Anamnesis ),「さらば、思い起しつつ」( Unde et memores )という二つの祈りも,救主の偉大なる御業の追想である.そして, あがないの奥義,御受難だけではなく,御復活と御昇天の奥義をも,ここに追想する .

われわれのいけにえは,キリストのいけにえと一つになる.いま,司祭は,アベル,アブラハム,メルキセデクなどのそなえものにはるかにまさる浄く汚れなく聖なる血を献げるのである ( Supra quæ これらの献物の上に).
いけにえの天便が,われわれの献物を天の祭壇,神の尊前にもちゆく代りとして,救主なるキリストの御体と御血との宴に,われわれがあずかれるようにと,神にこい願う( Supplices われらひれ伏して).

われわれが,神の宴にあずかることをゆるされるこのいけにえの準備は,もはやととのった.この典礼的ないけにえの 功徳は,先ず,つぐのいを果しつつある「苦悩の教会」の霊に応用される .
そして, 司祭と,参列の信者のためにも応用されるように とこい願い,( Nobis quoque われわれにも), このいけにえにあずかり,天の聖人とともになること をも,神の御慈悲によってこい願う.

聖体の行い,すなわち,厳密な意味での典文(カノン)は,終りに近づいた.その終りは,まことに荘重である.
司祭は,オスティアとカリス(祭爵)とを,一緒にもち上げて,三位一体の神に光栄とほまれとをささげる.
そこで参列の信者は、「アメン」ととなえて,司祭の頌歌にこたえ,司祭の聖変化の行為を承諾する のである.この「アメン」は,聖変化の沈黙のはじまりの時から,結晶していた力のほとばしりである.

パンをさくこと

聖体制定のことを物語る福音書によると, 主は,聖体のパンを弟子らに与えるに先だち,それを割(さ)いて分けた と記されている.

この行為は,昔から特に重視され, fractio panis (パンをさくこと)は,長らくの間,ミサ聖祭と同義語に用いられてきた.元来,「パンをさくこと」は,実際上の必要からで,信者の聖体拝領のために,大きなパンを分けていたのである.
今はもう実際上のそんな必要はなく,司祭の拝領するオスティアだけをさくことになっている.パンをさくことは,又,昔の習慣の名残りである. 聖なるオスティアをさいてから,司祭はオスティアの小片を,カリスに入れる .これはなぜかというに,九世紀ごろまで,ミサののち,聖変化したパンの一片を保存する規則があり(これを Sancta 聖なるものといった),この一片を,次のミサのとき,御血にひたしたのである.それは, 公教会のいけにえの,一致性と継続(けいぞく)性 とを象(かたど)るならわしであった.

「われらひれ伏して」( Supplices )の祈りがおわれば,いけにえの宴(うたげ)は,もう準備が出来上っている.
典文(カノン)の最後のアメンが終ると,司祭は声をあげて,一同に代り,( Oremus 祈願)と主禱文をとなえる.この祈りは,聖体拝領の直前の準備の祈りとして,ずっと古くから用いられている.
それから司祭は,聖なるオスティアをさくが, これは主の御業のくり返しであり,皆のためにさくこの行いは,救主キリストのみがこの世に与える平安を象るのである .
われわれは主の御死去によって,まことの平安を再び見出した.聖なるパンと聖なるぶどう酒とを混(まぜ)ることは,キリストの復活と不滅性とを意味するのである .「キリストは、もう死に給わない.」(新約聖書・使徒聖パウロのローマ人への手紙,6章9節)

神の羔(こひつじ)に対する神羔誦(しんこうしょう Agnus Dei )は, 復活の羔,不滅の糧(かて) となり給うた キリストへの祈り である.

聖体は,本質的にキリスト教的一致,神秘体の生ける一致の秘蹟である.われわれがもし,公教会と一致していないならば,キリストの御体と御血とにもあずかることができない .
また,聖体拝領を否むことは,神秘体から離(はな)れ去ることである.これがために司祭は,キリストにおいてすべてが一致するようにとこい願ってから,助祭を通して,参列の信者に, 平安の接吻 をおくるのである.現在はもう習慣として残っていないが, この平和の接吻は,その昔は,聖体拝領の唯一つの準備であった .現在は,その精神だけが残されているわけであるから, 兄弟への憎(にく)みの念をすて,公教会と兄弟たちに一致する心がなければ,聖体に近づくことはできない .

比較的時代を下ってから,こののち二つの祈りが加えられた.これは,聖体拝領とキリスト教的生活とのつながりを示す祈りである.
実に,キリストと一致することは,キリスト,特に十字架を負(お)い給うたキリストにならうことである.キリスト信者の幸福は,十字架と切り離(はな)せないものである .
こういう神秘的な準備ののち, 司祭は,パンとぶどう酒との二つの形色において聖体を拝領し,それから,侍者と一般信者が聖体を受ける .
侍者と信者の聖体拝領は,パンの形色の下に行われる .もちろん,かれらも,古くは二つの形色のもとに聖体をうけていたし,現在でも,東方挙式法による公教会においては,二つの形色の聖体を信者にもさずけている。
しかし, 一つの形色でも功徳と効果とは同じである .すべての信者に,聖体は永遠の結実を生むであろう.
昔は,聖体をさずける間に,聖体拝領誦の詩篇をうたう習慣であった.この習慣は,現在の交誦に名残りをとどめているだけで,これを聖体拝領誦( Communio )という.
一般に,聖体拝領誦は,その日の祝日,あるいは奥義に関連した祈りであり,われわれの感謝をあらわしている.
聖器具を始末してのち,司祭は,信者らに挨拶(あいさつ)し,皆に代って,聖体拝領後の祈( Postcommunio )をとなえる.

この祈りによって,聖なるいけにえの拝領は終った.この祈りは, 秘蹟的に霊的に聖体を拝領したすべての人に,公教会が何を期待するか をあらわし,この 聖なる奥義によってもたらされる至福 をも語る.
だが公教会は,この秘蹟を,天の至福の予備としてだけではなく,いまうけた聖寵に対する忠実さによって,いつか決定的にうけるであろう至福の予言とも考えるのである.

「毎日のミサ典書」(序論(2)ミサ典書とローマ式ミサ)より引用

1962年ミサ聖祭通常文の表
-〈注〉一部の典礼文は省略されています.Partly abbreviated. -

〈灌水式 :(洗礼のかたどりの一つ) 〉
・ 交誦 (詩篇・第50篇9節) Antiphona  … Aspérges me, (主よ,ヒソプもて)

「*主よ,**ヒソプもて私にそそぎ給え,私は浄(きよ)められるであろう.私を洗い給え,私は雪よりも白くなるであろう.
(詩篇・50篇3節)神よ,御慈悲により,私をあわれみ給え.」

司祭/. 願わくは,聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊とに栄えあれ,
助祭(侍者・信者)/. はじめとおなじく,今もいつも,世々に,アメン.

「(*主よ,ヒソプもて…をくりかえす)」

(**ヒソプ…ハナハッカの小枝;清めの祭式に用いられた.ヘブライ語で「聖なる薬草」を意味する.)

(御受難の主日と枝の主日とには,栄誦をとなえない)
(復活節(御復活の祝日-聖霊降臨まで)は,次の通り)

「私は,神殿の右側からわき出る水を見た,アレルヤ.この水にうるおった人々は,みな救われた.かれらは,アレルヤ,アレルヤとうたう.
(詩篇・117篇1節)主をほめたたえよ,主は善にて在(ましま)す,主の御あわれみは永遠である.」

司祭/. 願わくは,聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊とに栄えあれ,
助祭/. はじめとおなじく,今もいつも,世々に,アメン.

「(*私は,神殿の右側から…をくりかえす)」

…(中間略)

・祈願 Oratio  … Exáudi nos (われらの祈りをききいれ給え)

「聖なる主,全能の父,永遠の神よ,…われらの祈りをききいれ給え.」

Ⅰ.準備:
(洗礼志願者のミサ)

A. 準備の祈り(祭壇の足元で)

・十字架のしるし  …  Signum cruces

「聖父(ちち)と,聖子(こ)と,聖霊との御名によりて.アメン.」

司祭/「私は,神の祭壇に上ろう.」
助祭/「私の若さを喜びで満たし給う神の方へ.」

・ 信仰,神への委託,信頼,謙遜  …  Iúdica me, Deus, (神よ,私を弁護し給え)(詩篇42編)

・ 痛悔と心の清さ  …  Confíteor (告白の祈り)

「全能の天主,終生童貞なる聖マリア,大天使聖ミカエル,洗者聖ヨハネ,使徒聖ペトロ・聖パウロ,諸聖人およびなんじら兄弟たちにむかいて,われは思いと言葉と行いとをもって多くの罪を犯せしことを告白したてまつる.
(三度胸を打ちながら言う.)
これわがあやまちなり,わがあやまちなり,わがいと大いなるあやまちなり.
これによりて終生童貞なる聖マリア,大天使聖ミカエル,洗者聖ヨハネ,使徒聖ペトロ・聖パウロ,諸聖人およびなんじら兄弟たちに,わがためにわれらの主なる天主に祈られんことを願いたてまつる.」

助祭/.「願わくは,全能の神があなたを憐れみ,あなたの罪をゆるして,永遠の生命に導き給わんことを.」

司祭/.「アメン.」

B. 入祭文から奉献まで

・ はじめの聖歌  …  Introitus (入祭文)

(司式司祭はすぐ祭壇に上らず,祭壇の下で準備の祈りをとなえる.
聖歌隊が,入祭文を終るまでに,司祭は祭壇に上がり,祭壇に接吻し,撒香する.)

( 祭壇 は特に聖別され,新約の祭壇,いけにえ・大司祭である キリストを意味する .
また 密接にキリストとむすびつくため に,祭壇には,聖なる殉教者の遺物の一部が納められている.)

(司祭が祭壇に接吻するのは,これから,奥義を新たにするに当って, キリストの御心と心を一つにすることを ,あらわすためである.
祭壇への撒香は,礼拝と尊敬をあらわすためである.)(ローマ・ミサ典書・日本語版より)

Ⅱ.祈りと教え:

《祈り》

・ 礼拝と祈願  …  Kýrie (求憐誦)

(司祭と助祭が交互に三度ずつとなえる)
「主,あわれみ給え.
キリスト,あわれみ給え.
主,あわれみ給え.」

・ 三位一体の称讃  …  Glória (栄光誦)

「天においては天主に栄えあれ.地においては善意の人に平和あれ.…」〕

《教え(教理)》

・ 団体の祈り  …  Collecta (集祷文)

・ 第一の朗読  …  Epistola (新約聖書の使徒の書簡)

・ 中間の聖歌  …  Graduale (昇階誦)

・ Alleluia (アレルヤ誦)あるいは Tractus (詠誦)

・ キリストの御言葉の朗読  …  Evangelium (福音書)

・ キリストとその御言葉への承諾  … 〔 Credo (信経)〕

Ⅲ.奉献の部:
(信者のミサ)

A. 奉献から序誦まで  (奉献)

・ 奉献の準備  …  Offertorium (奉献文)

・ 御父なる神にパンの奉献  …  Súscipe, (うけいれ給え)

「聖なる父,全能永遠の神,…うけいれ給え.…」

・ カリスの準備  …  Deus, qui (神よ)

・ カリスの奉献  …  Offérimus tibi, Dómine, (主よ,われらはささげ奉る)

・ 心の奉献  …  In spíritu (心をもって)

「主よ,深くへりくだり,痛悔の心をもってささげ奉るわれらを受けいれ給え.…」

・ 奉献するものの上に,聖霊を祈願する  …  Veni, Sanctificátor, (聖とならしめ給う御者,下り給え)

「聖とならしめ給う全能の御者,永遠の神よ,下り給え.…」

・ 手を浄める  …  Lavábo (洗い奉る)

「主よ,私は罪なき者の一人となるために,私の手を洗い,そして,主の祭壇のかたわらに立とう.」

・ キリストと諸聖人との功徳にもとづく奉献  …  Súscipe, sancta Trínitas, (聖なる三位一体よ,受け給え)

・ 信者は,祈りによって,奉献に一致する  …  Oráte fratres, (兄弟たちよ,祈れ)Suscipiat (受け給わんことを)

「兄弟たちよ,祈れ,私と,あなたたちとのいけにえが,全能の父なる神のみもとによみせられるように.」

助祭/.「主が,御名のほまれと栄光のため,更に,われらの利益のため,御自分の聖なる全教会のために,あなたの手から,このいけにえを受け給わんことを.」

・ 奉献するものの前で,祈る  …  Secreta (密誦)

B. 序誦から主禱文まで  (聖変化の部)

Ⅳ.聖体の序誦:

・ 荘厳な感謝の祈り  …  Praefatio (序誦)

・ 讃美  …  Sanctus (三聖頌)

ミサ聖祭典文( CANON MISSÆ )

Ⅴ.聖なるいけにえ: (聖変化)

・ 奉献するものを考える  …  Te ígitur (さて,汝を…)

「いと寛仁なる父よ,われらは深くへりくだって祈り奉る.願わくは御子イエズス・キリストによって,この + 賜物,この + ささげ物,この + けがれなく聖なるいけにえを受入れ,祝し給わんことを.」

・ 戦闘(せんとう)の公教会の祈念  …  In primis (先ず,…)

(両手をひろげ,普遍教会のために祈る)
…先ず,われらは,主の聖なるカトリック教会〔公教会〕のために,これをささげ奉る.
願わくは,教会に平和を与え,それを保護し,一致を固めさせ,
主の下僕なる〔われらの〕教皇ベネディクト16世,われらの司教〔名〕,
および正統な教えと使徒伝承のカトリック信仰とを守る人々と共に,
全世界において,治め,導き給え.」

・ 特定人の記憶
(生きる人々の記念 Commemoratio pro vivis)…  Meménto, Dómine ,(主よ,記憶し給え)

・ 凱旋(がいせん)の公教会の祈念  …  Communicántes (聖なる一致において…)

(注)「コムニカンテス」は,われわれが,ここに名の記されている聖人たちだけでなく,罪深い性質においてわれわれと似た人間であったその他の無数の聖人たちのとりなしによってもまた天に招かれていることを知る喜びを与えられる.
殉教者の元后・聖マリア の御名は御子キリストのいけにえ(犠牲)から切り離すことはできない.聖マリアは神の羔(こひつじ)とともにわれわれ自身を祭壇の足元でささげるようお教えになる. 聖ヨゼフ は普遍教会の保護者として祈願される.(英語のミサ典書の解説より)

「聖なる一致において,われらは,先ず,わが神なる主,イエズス・キリストの御母,終生童貞なる光栄のマリアの記念を,つつしんで行い奉る.
また,その浄配聖ヨゼフ,主の聖なる使徒,殉教者,… およびすべて主の聖人らの記念を行い奉る.
願わくは彼らの功徳ととりなしとによって,われらに,御保護の助力を与え給わんことを.同じわれらの主,キリストによりて.アメン.」

・ 献物を受入れ給えと祈る  …  Hanc ígitur (さて,これを…)

・ 聖変化をこい願う祈り  …  Quam oblatiónem tu, Deus, (神よ,このささげものを)

「神よ,願わくは,このささげものを祝 + し,嘉 + 納し,全く + 認め,真の価値あるいけにえとなし給え.これが,われらのために,御身の最愛の御子,われらの主イエズス・キリストの御 + 体,御 + 血とならんことを.」

・ 聖体制定の記念  …  Qui prídie (御受難の前日…)

「主は,御受難の前日,その聖なる尊い御手にパンをとり,天に在(ましま)す全能の御父なる御身の方に目を上げ,御身に感謝し,それを祝 + して,分け,弟子らに与えておおせられた.皆,これを受け,そして食べよ.」

・ パンの聖変化  …  Hoc est enim corpus … (実にこれは,私の体である)

「実にこれは,私の体である.」

・ 聖体を奉挙する

・ 聖体制定のつづき  …  Simili modo (同じく…)

「同じく晩餐が終ったとき,主は,その聖なる尊き御手に,この光栄あるカリス(聖杯)を取り,再び,御身に感謝し,これを祝 + し,弟子たちに与えて,おおせられた..皆,これをとって飲め.

・ぶどう酒の聖変化 … Hic est enim calix … (実に,これは私の血のカリス(聖杯)で…)

「実に,これは、新しく,そして永遠なる契約の,私の血のカリスである.
信仰の奥義,
それは,あなたたちと多くの人々の罪をゆるすために流されるのである.」

「あなたたちがこれを行うごとに,私のかたみとしてこれを行え.」

・ カリスを奉挙する

・ あがないの玄義を再び記念  …  Unde et mémores, Dómine, (主よ,さらば記念して…ささげ奉る)

・ キリストのいけにえを受入れ給えと祈る  …  Supra quæ (この供物に…)

・ 神なるいけにえとの一致を求める祈  …  Supplices (うやうやしく)

・ 死者の記念
(死者の記念 Commemoratio pro defunctis)…  Meménto étiam, Dómine ,(主よ,記憶し給え)

・ 天の教会との一致を求める祈  …  Nobis quoque (われらは…)

・ 被造物も称讃にあずかる  …  Per quem (かれによって)

「主よ,御身は,かれによってこれらすべてをよきものとしてつくり,これを聖+とし,活+かし,祝+し,そしてわれらに与え給う.」

・ 御子による聖父に対する称讃,聖霊との一致において . …  Per Ipsum (かれによって,かれと共に,…)

「かれ + によって,かれ + と共に,かれ + において,
全能の + 父なる神よ,
+ 聖霊との一致において,
御身はすべてのほまれと光栄とを受け給う.
世々に至るまで.」

・ 信者の賛成と称讃  …  Amen (アーメン)

ミサ聖祭典文の終わり

C. 主禱文から清めの式まで  (聖体拝領)

Ⅵ.パンを割(さ)くこと :

・ 今日の糧(かて),聖体を求める祈り  …  Pater noster (主祷文)(われらの父よ)

「天にましますわれらの父よ,願わくは御名の尊まれんことを,御国の来らんことを,御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを.
われらの日用の糧を,今日(こんにち)われらに与え給え.われらが人にゆるすごとく,われらの罪を赦し給え.われらを試みに引き給わざれ.」
助祭/.「われらを悪より救い給え.」
司祭/.(小声で)「アメン.」

・ 悪から浄化され,予防されることをこい願う  …  Líbera nos (われらを救い給え)

「主よ,願わくは,過去,現在,未来のすべての悪からわれらを救い給え.
終生童貞なる永福の,聖母マリア,使徒聖ペトロ,パウロ,アンドレア,および諸聖人のとりつぎにより,御慈悲をもって日々われらに平安を与え,
御あわれみを下して,われらを罪よりすくい,われらをまどわすものより解き放ち給え.
その同じわれらの主,イエズス・キリスト,
神として,聖霊との一致において,御身と共に生きかつ治め給う御子によりて,
世々に至るまで.」助祭/.「アメン」

・ パンをさくことと,キリストの平和における一致  …  Pax Domini (主の平安)

「主の+平安,+いつも,あなたたち+とともにあれ.」
助祭/.「また,あなたの霊とともに.」

・ 聖なるパンを聖なるぶどう酒に加える‐復活と一致との神秘  …  Hæc commíxtio (この平和)

(司祭は,御聖体の小片をカリスの中へ入れて小声でとなえる)
「われらの拝領せんとするわれらの主イエズス・キリストの御体と御血とのこの混和と聖別とが,われらの永遠の生命の糧(かて)とならんことを.アメン.」

・ 神の羔(こひつじ)にこい願う  (神羔誦〈しんこうしょう〉)…  Agnus Dei

「世の罪を除き給う天主の小羊,われらをあわれみ給え.
世の罪を除き給う天主の小羊,われらをあわれみ給え.
世の罪を除き給う天主の小羊,われらに平安を与え給え.」

・ 平安の接吻  …  Domine Iesu (主イエズス)

「あなたたちに私の平安をのこす,私の平安を与えると,使徒らにおおせられた主イエズス・キリストよ,
私の罪をかえりみず,主の教会の信仰をかえりみ給え.
そして教会に平安を下し,聖なる御旨の如く,一致させ給え.
世々に生きかつ治め給う神よ,アメン.」

・ 聖体拝領の間近き準備  …  Domine Iesu (主イエズス) Percéptio (拝領し奉る)

「活ける神の御子イエズス・キリストよ…」

「主イエズス・キリスト,不肖の私は,あえて御体を拝領し奉る.…」

・ 司祭が,両形色のもとに,聖体を拝領する  …  Panem cæléstem (天のパンを) Corpus Dómini (主の御体) Quid retríbuam (何をもって主に報いてよかろうか) Sanguis Dómini (主の御血)

「私は,天のパンを受け,主の御名をこい願う.」

(司祭は胸を打ちながら,献身的にまたけんそんな心で,小声でとなえる)
「主よ,私は,主をわが家にむかえ奉るにたらぬものである.ただ一言を語り給え.
そうすれば,私の霊魂はいやされるであろう.」(三度繰り返す)

「われらの主,イエズス・キリストの御体が,私の霊魂を,永遠の生命のために守り給わんことを.アメン.」

「私に与え給うたすべての善に,私は何をもって主に報いてよかろうか.
私は救いのカリスをとり,主の御名をこい願う.
主の讃美をうたいつつ,こい願おう.そうすれば,私は敵の手の中より救い出されるであろう.」

「願わくは,われらの主イエズス・キリストの御血が,私の霊魂を,永遠の生命に守り給わんことを.アメン.」

・ 信者の聖体拝領

「世の罪を除き給う神の小羊を見よ.」

(御聖体を受ける者は胸を打ちながら三度となえる.)
「主よ,私は,主をわが家にむかえ奉るにたらぬものである.ただ一言を語り給え.
そうすれば,私の霊魂はいやされるであろう.」

(各信者は,祭壇の前にひざまずく)

(司祭は各信者の前に御聖体を示し,御聖体で十字架のしるしをしながらとなえ,授ける.)
「われらの主,イエズス・キリストの御体が,あなたの霊魂を,永遠の生命のために守り給わんことを.アメン.」

D. 浄めの式から最後の聖福音まで  (感謝の部)

・ 聖器具の始末  …  Quod ore súmpsimus, Dómine ,(主よ,口で拝領し奉ったものに…)

・ 司祭は指を洗う  …  Corpus tuum Dómine, (主よ,御体と)

・ 聖体拝領の聖歌  …  Communio (聖体拝領誦)

・ 終りの祈り  …  Postcommunio (聖体拝領後の祈)

Ⅶ.退散と最後の祈:

・ ミサの終りを告げる (終祭誦)…  Ite, missa est.

Ite, Missa est. または Benedicámus Dómino.
「行け,ミサは終った.」

・ 信者は神に感謝する (主を讃美しよう) …  Deo gratias (神に感謝し奉る)

・ いけにえの祭壇を去るに当り,司祭はけんそんに祈る  …  Pláceat (よみし給え)

「聖なる三位一体よ,下僕なる私の聖役をよみし給え…」

・ 最後の祝福  …  Benedícat (祝福し給わんことを)

「全能の神が,あなたたちを祝福し給わんことを,聖父と+(一同十字架のしるしをする)聖子と,聖霊とによりて.」助祭/「アメン.」

・ 最後に福音書を読む  …  In principio (元始に)

司祭/. 「主は,あなたたちとともに.」(会衆は起立する)
助祭/. 「また,あなたの霊とともに.」

(司祭は,額と口と胸に親指で小さな十字架のしるしをして言う)
+ヨハネによる聖福音の序.
助祭/. 「主に栄光あれ.」

ヨハネによる聖福音・第1章1-14節

元始(はじめ)にみことば(御言葉)があった.御言葉は天主(神)とともにあった.みことばは天主であった.彼(かれ)は,元始に天主とともにあり,万物は彼によって造られた.造られた物の中(うち)に,一つとして彼によらずに造られたものはない.彼に生命があり,生命は人間の光であった.光は闇(やみ)に輝いたが,闇は彼を悟らなかった.

さて,天主から遣(つか)わされた人がいて,その名をヨハネといった.この人は,光を証明するために来た,またすべての人が彼によって信じるために,証人として来た.この人は,光ではなく,光を証明するために来た.

すべての人をてらす真(まこと)の光は,まさにこの世に来つつあった.みことばは世にあり,世はみことばによって造られたが,世は彼を知らなかった(みことばを認めなかった).みことばは,ご自分の家に来給うたが,その族(人々)はうけいれ(受け入れ)なかった.しかし,その方をうけいれた人々には,みな,天主の子となれる能力(権利)を授(さず)けた.そのみ名を信じるすべての人たち,それは,血統によらず,肉体の意志によらず,人の意志によらず,ただ天主によって生まれた人々である〈ここで片膝を付く〉.

みことばは肉体となって,〈立ち上がる〉われわれの中(うち)に宿り給うた(住まわれた),我々はその栄光を見た.それは,御独り子として御父から受けられた栄光であって,恩寵と真理とに満ちておられた.

助祭/「神に感謝し奉る.」

(毎日のミサ典書(全ローマ・ミサ典書〈ラテン・仏・英(1962年)・日本(1955年)語訳〉を参照)